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中台トップ会談の結果――台湾国民は大陸を選ぶのか日米を選ぶのか?

ニューズウィーク日本版 / 2015年11月9日 16時15分

 11月7日、習近平・馬英九会談がシンガポールで行われた。中国のCCTVで実況中継を観ながら、台湾にいる教え子たちと連絡を続けた。台湾総統選にいかなる影響を与えるのか、それは台湾国民の歴史的選択に関わっている。

80秒間にわたる握手

 11月7日、シンガポールのシャングリラ・ホテルに布かれた絨毯の両脇にカーテンがかかり、右側から習近平氏が、左側から馬英九氏が現れた。真ん中あたりまで進み、やや左寄りのところで、習近平氏が右手を差し伸べ、すかさず馬英九氏も右手を差し伸べて握手。やや左寄りになったのは、馬英九氏の方がいくらか背が低く、歩幅が狭いためだろう。

 一瞬、互いに見つめ合ってから居並ぶ報道陣の方を見た顔は、はにかみながらの笑み!馬英九氏はやや照れくさそうに笑いながら報道陣の方を見て、習近平氏は、もう一度馬英九氏と顔を合わすべきか否か迷いながら、馬英九氏を見るともなく、やはりまた報道陣の方に笑みを向けた。

 歴史的瞬間だった。

 会場には声ならぬどよめきが起きた。

 中国側の発表で、620名の報道陣が集まったという。中国大陸から200名、台湾から200名、そして海外から200名強とのことだ。二人の笑顔を真正面から撮りたい報道陣のために、二人は仲良く右に体を回し、しばらくしてから左に体を回してサービスをした。80秒間、握手した手は振りっぱなし(シェイクしっぱなし)だ。80秒後、手の握り方で合図をしたのか、今度は握手した手を離して、互いに外側の手を高く掲げて報道陣に向けて振り、左側の袖に向けて歩き、カーテンの陰に消えた。

 二人の会談の意義は、内容自身よりも、この握手にあったと言っても過言ではない。

 1945年8月15日に日本が降伏宣言をすると、国民党の蒋介石と共産党の毛沢東が中華民国(国民党)政府のあった重慶に集まって「内戦をしないこと」を誓いあい、10月10日に「双十協定」に署名した。毛沢東がどうしても山奥の延安から下りて来ないので、駐中国のアメリカ大使ハーレイが延安に赴き、毛沢東を無理やり引き連れて重慶の空港に降り立ったのだ。

 アメリカでは共産党(特にソ連のコミンテルン)のスパイがうごめいていたから、アメリカは共産党寄りになっており、ハーレイは喜んで延安に向かっている。毛沢東は一方では双十協定に署名しながら、もう一方ではすでに旧日本軍が占領していた区域に猛突進していて、共産党軍の勢力範囲を拡大していた。

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