いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く3 (ポール校長の授業)
ニューズウィーク日本版 / 2016年6月7日 15時30分
<『国境なき医師団』に取材され、結局、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。ハイチのコーディネーション・オフィスに到着すると、校長先生みたいなツンデレのポールが出迎えてくれた...>
前回記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く2(イースターのハイチ)」
知りません
「えっと、黒人による革命で、あの、支配者だったフランス人、とかを追い出して、それで共和国を作ったのがハイチで、つまり奴隷が作った、世界で唯一の、えっと国家です」
俺はしどろもどろで、必死に答えた。
OCA(オペレーション・センター・アムステルダム)のリーダーであるポールに『ハイチの歴史』を問われたからである。
しかし、俺の答えに対するポールの反応はきわめて冷たかった。
「いつ?」
「......」
「いつそうなった?」
我らのポール校長は曖昧な把握を許さないのだった。
俺は降参するように口を開いた。
「知りません」
第一に、緊張して英語がうまくしゃべれなかった。取材旅行の話を聞きつけた友人が、自分が開校する寸前の英語学校で一ヶ月の、それもインタビューに特化した訓練を施してくれたにもかかわらず(GCAI、ありがとう。そしてごめん)。
第二に、俺が口に出したのは付け焼き刃の知識だった。
俺は日本からの長い飛行時間の一部を、昔ハイチ地震のチャリティにかかわったあとに買ったままだったエッセイ集を読むのに使い(あとはひたすら寝ていた)、初めて出会うハイチ出身の亡命作家エドウィージ・ダンティカの奥深く慈悲と苦痛に満ちた筆致にしびれながら、彼女の小説を二冊、なぜか自分が読みもしないのに偶然手放さないでいたことに驚いていた(ただし今年に入って急激により多くの物質を捨てるという、人生の終わりを見越したブームの余波を受けたはずだ)。
それはともかく俺は、エッセイ集『地震以前の私たち、地震以後の私たち』(作品社)にこうあったのを、ポール校長の前でいかにも以前からよく知っていたかのように語らなければと焦ったのだった。
そして、冒頭のように失敗したわけである。
では、ここでかわりに、エドウィージ・ダンティカの簡潔な名文(1904年)を呼び出しておこう。 「西半球で二番目の共和国が作られてから、二百年が経った。建国当時、最初の共和国、アメリカ合衆国からは何の祝賀の挨拶もなかった。新共和国ハイチは、十二年間にわたる血なまぐさい奴隷蜂起を通して独立を勝ち取っていた。世界の歴史のなかで、奴隷たちが主人を権力の座から引きずり下ろし、自らの国家を造ることに成功したのは、この一例だけだ」
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