イギリスはなぜ香港を見捨てたのか
ニューズウィーク日本版 / 2017年7月7日 20時26分
<7月1日、香港返還20周年の式典に出席した中国の習近平国家主席は、「中央の権力に挑戦する行動は絶対に許さない」と語気を強めた。香港の民主化は、最後の香港総督パッテンの努力も空しく風前の灯だ。20年前、イギリスはなぜ香港を見捨てたのか>
香港割譲は中国史上最も大きな損失だったが、香港がいずれ中国に返還されるとは、当初誰も考えていなかった。
1842年に結ばれた南京条約で、香港島はイギリスに割譲された。第一次アヘン戦争でイギリスの巨大な軍艦と圧倒的な軍事力の前に敗れた中国(当時の清国)に選択肢はなく、香港島はイギリスに永久割譲、1860年に九龍半島が割譲された。
不毛の島である香港島には水が不足していた。そのためイギリスは1898年、中国から新界を租借し、99年後の1997年に「新界のみ」返還すると約束した。この時点では、香港島まで返還することは想定外だった。
イギリス軍がアルゼンチンに奪われた島を奪還したフォークランド紛争の勝利に沸いていた1984年、当時中国の実質的な最高指導者だった鄧小平と香港の返還交渉を行っていたマーガレット・サッチャー英首相は「なぜ(新界だけでなく)香港を返還しなければならないのか」と周囲に聞いていた。
軍事介入もちらつかせた鄧小平
それは鄧小平が香港島と九龍島の同時返還を求め、軍事介入も辞さない姿勢を見せたからだ。軍事力も指導者も、アルゼンチンとは格が違った。結局サッチャーは、1997年6月末に香港を中国に返還することで同意した。
【参考記事】「イギリス領に戻して!」香港で英連邦復帰求める声
1997年6月30日の夜、雨が降る中でイギリスによる香港の委任統治が終わった。260の島と世界一美しいスカイラインを持つ香港で、午前0時に警官たちが帽子のバッジを王冠からランに付け替え、英国旗「ユニオン・ジャック」が降ろされた。
香港返還に際し、住民の間には混乱というより不安が漂っていた。イギリスはすでに香港住民に対するパスポートの発行を止めていた。完全にストップ、立ち入り禁止だ。EUの拡大でポーランド人労働者がイギリスで働ける時代になったというのに、なぜ香港住民はだめなのか。
人々が疑問の声を上げたのは他でもない、もし中国政府が(1989年の天安門事件のように)弾圧に乗り出したときは、イギリスが守ってくれる、受け入れてくれると保証してほしかったからだ。
【参考記事】元日の香港は反中デモで幕開け 9000人が直接選挙制を求める
この記事に関連するニュース
-
1960年代のベトナム戦争を契機に、〈沖縄の日本復帰〉が実現した“複雑な事情”とは【歴史】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月2日 11時15分
-
国家安全条例の可決で「香港の中国化計画」が大詰めに
ニューズウィーク日本版 / 2024年4月2日 7時30分
-
台湾総統が「戦時の逃亡準備」、1月選挙まで中国報道続く=調査
ロイター / 2024年4月1日 15時29分
-
香港再訪:国家安全条例で香港は香港でなくなってしまうのか?
トウシル / 2024年3月28日 7時30分
-
5選のプーチンは「民主主義国の衰退」を熟知し、西側は「ロシア知識」が足りない
ニューズウィーク日本版 / 2024年3月26日 18時5分
ランキング
-
1台湾で再び地震 マグニチュード6超が2回発生 ホテルやビルが傾く
日テレNEWS NNN / 2024年4月23日 19時37分
-
2ハマス要員5000人残存か=ガザ休戦で勢力回復可能―トンネル活用、抵抗長期化も・米紙
時事通信 / 2024年4月23日 23時39分
-
3プーチン氏が停戦交渉拒めば、トランプ氏はウクライナ支援強化も 元米国務省特別代表ネグリア氏
産経ニュース / 2024年4月23日 17時43分
-
4テレビ塔が倒壊…ロシア軍のミサイル攻撃か ウクライナ東部ハルキウ
日テレNEWS NNN / 2024年4月23日 15時56分
-
5貨物列車が炎上しながら走行 カナダ・オンタリオ州
日テレNEWS NNN / 2024年4月23日 13時6分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください