ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(前編)
ニューズウィーク日本版 / 2017年9月20日 16時0分
ロヒンギャの運命が大きく変わり始めたのは隣国ビルマのコンバウン王朝がアラカン王国を征服した1785年。迫害を逃れるため、多くのロヒンギャが現在のバングラデシュに逃げ込んだ。「難民」ロヒンギャの始まりだ。
ビルマのコンバウン王朝がイギリスとの戦いに敗れ、1826年にラカイン州が植民地になると、多数のロヒンギャがこの地に戻った。イギリスは1824年にビルマのコンバウン王朝に侵攻し、1886年、全土をイギリスの植民地にした。そして1948年にミャンマーがイギリスの植民地支配から独立した後、新たなロヒンギャへの迫害が始まった。
62年にクーデターで権力を掌握したネウィン将軍は78年、南アジア系住民をミャンマーから追放する「オペレーション・ナガミン(竜王作戦)」を決行。排斥対象になったロヒンギャは殺戮や婦女暴行、宗教弾圧で最大の被害者になった。約20万人のロヒンギャが現在のバングラデシュに逃げ込み、食料も安全も保障されない生活を送る羽目に陥った。国連による難民キャンプが設立されたのはこの頃だ。
ネウィン軍政はその後も手を緩めることなく、次は法的な手段でロヒンギャ排除を加速させた。
82年に制定された「国籍法」はその最たるもので、現在のミャンマー政府に至るまでロヒンギャ弾圧を正当化させるよりどころになっている。ミャンマー国民を「イギリスがミャンマーに侵攻する前年の1823年以前から定住する民族」と法的に定義付けたことで、ロヒンギャは法的にも排斥の対象となった。
ロヒンギャの総数200万人とも300万人とも言われ、イギリスからの独立後、追放されたり虐殺から逃れるため国外へ脱出したロヒンギャは160万人ともみられている。そして今この瞬間も、祖国ミャンマーから逃げ出している。
逃避先の日本でも民族差別は終わらない
「高校生になるまで、自分たちが迫害されていると思ったことはなかった」。ラカイン州で生まれ育ったロヒンギャのゾーミントゥット(45)は、幼少期をこう振り返る(編集部注・ミャンマー人の名前は姓名の区別がない)。
軍や当局から毎日のように暴行を受け、コメや金を強奪されていたロヒンギャにとって、迫害は日常だった。軍政下で厳しい情報統制が敷かれていたため他地域の事情を知ることもなく、ロヒンギャ同士でも軍を刺激する発言ははばかられていた。「自分たちが特別と思っていなかった」
ゾーミントゥットの運命を変えたのは、スーチーとの出会いだ。
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