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中国、対日微笑外交の裏──中国は早くから北の「中国外し」を知っていた

ニューズウィーク日本版 / 2018年5月7日 12時52分

中国は米中関係が悪化すると対日懐柔策に出る。今般は北朝鮮が中朝蜜月により対米牽制をしながら平和体制3者協議提案により対中牽制をしている。李克強来日、習近平・安倍電話会談など中国の思惑と対朝見解を考察。

2002年の小泉元首相訪朝が意味するもの

5月3日付のコラム<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>で書いたように、2002年9月、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)(元)総書記は、中国遼寧省丹東と隣接する北朝鮮の新義州(シニジュ、しんぎしゅう)を特別行政区(特区)と定めて経済開発を試みようとした。それは中国からの「改革開放をしろ」という絶え間ない要求に応じたものだったが、それでいて「中国外し」のために通貨は米ドルにして、おまけに特区長官の任命に当たり、中国には一切相談せずに、敢えてオランダ籍の中国人(楊斌)を選んだ。オランダ籍であることから、新義州経済開発特区には、中国以外に西側諸国を招いて、中国が中心にならないように仕掛けをしていたのである。

このことを知った中国は激怒し、楊斌を脱税や収賄など多数の違法行為により逮捕投獄してしまった。それにより新義州経済開発特区構想は潰れてしまったのだが、注目しなければならないのは、このとき金正日は日本に対して何をしたかである。

小泉元首相の訪朝を、金正日は受け入れたのだ。そして拉致被害者を一部返し、また拉致行為に関しては「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って日本人を拉致した」と認めて謝罪した。

ここで重要なのは、北朝鮮の最高人民会議常務委員会が新義州特区設立の政令を発布したのが2002年9月12日で、小泉元首相が平壌(ピョンヤン)を訪問して金正日元総書記に会ったのが2002年9月17日であるという事実だ。

つまり、北朝鮮が「中国外し」をするときは、日本に対しては門戸を開こうとするのである。

楊斌が拘束されたのは2002年10月4日で、11月27日には逮捕投獄された。小泉元首相が訪朝した9月17日には、楊斌が逮捕されるとはまだ思っていなかった金正日は、経済特区を開発するに当たり、「中国外し」をしておいて、対日融和策に出たということになる。

それを知っている中国は、今回もまた北朝鮮が対日融和策を取る可能性があることを見越して、北朝鮮に先手を打たれまいとして「対日融和策」に出ようとしている。

「習近平・安倍」電話会談が意味するもの

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