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名車ビートルが残した、アートカーの豊かな歴史

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月13日 17時0分

<ナチス・ドイツがつくり出した国民車は、創造力と自由を刺激する最高のキャンパスだった>

「かぶと虫」に最後の日がやって来た。ドイツの自動車大手フォルクスワーゲンは7月10日、メキシコの工場で小型車「ビートル」の最後の1台を出荷し、その生産を中止した。

ビートルは1938年、安価で高性能な車を国民に供給するというナチス・ドイツの国民車構想の下で誕生。その後80年にわたって世界中で愛されてきた。

メキシコでは「ボチョ」の名で知られ、緑と白に塗られてタクシーによく使われた。フランスでは「コクシネル(テントウムシ)」と呼ばれ、曲がりくねった古い街並みを走ってきた。そしてアメリカでは親しみを込めて「バグ(虫)」と呼ばれ、型にはまらない個性を象徴するようになった。

筆者は大学で「自動車とアメリカンライフ」という授業を担当しているが、最初に紹介する車は世界初の量産車であるT型フォードではない。ハロッド・ブランク監督のドキュメンタリー『ワイルド・ホイールズ』に登場するビートルのアートカーだ。ボディーにさまざまな装飾を施したアートカーは、創意工夫と自由の象徴だと思うからだ。

49年にアメリカに初上陸した当時、ビートルは大半のアメリカ人が初めて見るタイプの車だった。鋭角的で図体が大きくオーバーヒートしやすいアメリカ車と違い、丸みを帯びた形が特徴的で、価格は安いのに優れた性能を備えていた。

自動車にステータスやスピード、馬力が求められた時代に、このキュートな車の評価は真っ二つに分かれた。ロード&トラック誌の69年の調査では、オーナーの過半数がビートルに満足していると答えた一方、馬力不足でスピードが出ないという不満の声も多かった。

だがビートルは一部のファンの熱狂的な支持を集め、馬力を増強させるなどの改造を自分で施す人もいた。車体を使って芸術的センスを表現する人たちも出てきた。その先駆けとなった1人がブランクだ。

廃品を使って飾り立てる

大学で舞台芸術と映画を学んだブランクは、80年代後半にボロボロのビートルを手に入れた。彼はその車体をキャンバスに見立て、運転席のドアにおんどりの絵を描いた。フロント部分には地球儀を、屋根にはテレビ、バンパーにはプラスチックでできたニワトリや果物を取り付け、後部には「権威を疑え」と書かれたステッカーを貼った。

ブランクが「オー・マイ・ゴッド!」と名付けたこの車が火付け役となり、アートカー愛好家のコミュニティーが生まれた。彼らはビートルをはじめとするさまざまな車を、廃品などを使って飾り立てた。

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