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慰安婦問題が突き付ける、「歴史を装った記憶」の危険性

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月15日 20時30分

<マスメディアや国家の式典などによって伝達されるものは「記憶」であり、歴史家が書く史実ではない。それなのに、記憶は歴史よりも多くの場所で語られ、人々の脳裏に刻まれていく。慰安婦問題とは、「歴史」をめぐる争いなのか──?>

日韓関係の悪化と共に、慰安婦問題が再びニュースとなっている。しかしそこで議論されているのは、「歴史」なのだろうか、それとも「記憶」なのだろうか。

歴史問題がニュースになるとき、「歴史」と「記憶」は分けて考える必要がある――そう説くのは、米コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)だ。グラックは新著『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義―学生との対話―』(講談社現代新書)のなかで、歴史問題が報じられるとき、政治化された「記憶」が事実に基づく「歴史」を凌駕する事態が起きがちだということを解き明かしていく。

本書は、ニューズウィーク日本版の企画として2017年11月~2018年2月にニューヨークのコロンビア大学で行われたグラックと学生たちの対話を元にした講義録だ。日本近現代史の権威であるグラックが「戦争の記憶」を伝える際にあえてメディアという媒体で「学生と対話する」形式をとったのは、1つには、歴史家が歴史書を通じて歴史を伝えることの限界を知っていたからだろう。

※以下、本書第3章「『慰安婦』の記憶」より全文公開
第1回:「慰安婦」はいかに共通の記憶になったか、各国学生は何を知っているか
第2回:韓国政府が無視していた慰安婦問題を顕在化させたのは「記憶の活動家」たち
第3回:韓国と日本で「慰安婦問題」への政府の対応が変化していった理由

◇ ◇ ◇

論争を通じて知る「メタ・メモリー」

グラックによれば、ニュースで議論される「慰安婦問題」は「歴史」の領域には入らない。大衆文化やマスメディア、国家の式典や政治家のスピーチなどによって伝達されるものは「共通の記憶」と呼ばれるものであり、歴史家が書く史実ではない。それなのに、記憶は歴史よりも多くの場所で語られ、人々の脳裏に刻まれていく。

例えばグラックが本書の中で学生に「慰安婦について、どこで知りましたか」と問うと、コロンビア大の日本人学生がこう答える。「朝日新聞が問題になったときです。最初に朝日新聞が慰安婦について報道したときではなく、その後に報道が問題になったときに知りました」。

この発言に対する、グラックの回答はこうだ。

論争になって、人々が議論しているのを聞いて知ったわけですね。このことを、私は『メタ・メモリー』と呼んでいます。公での論争を通じて知る記憶のこと......例えば、慰安婦がテレビで語る証言は「民間の領域」での記憶に属しますが、その証言が真実か否かについて論争になっているのを耳にするのは、「記憶」そのものについて聞いているのではなく、記憶についての論争を聞いていることになります。

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