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イスラム教のイードアルアドハーを「犠牲祭」と呼ばないで

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月24日 14時0分

<日本語では「犠牲祭」と訳されるイスラム教の祭礼イードアルアドハーだが、本来の意味は家族や恵まれない人たちと食べ物を分かち合うことにある>

私たちは翻訳という手段を使って、世界の異文化とその知識をすくい上げる。しかし、翻訳とは穴だらけの柄杓(ひしゃく)のようなもの。言葉の意味の全てを一度にすくい上げられないことも多々ある。また、訳語という形式知に変換できたとしても、原語の見えない意味の「暗」の部分がすくい上げられず残されてしまうことも少なくない。

その一例が、イスラム教の二大祭礼の一つである「イードアルアドハー」を日本語に訳した「犠牲祭」である。この訳語から連想されるイメージは決して良いものとは言えない。確かに字義通りでは「イード=祭り、アルアドハー=犠牲にすること」と正しく訳してはいるが、犠牲祭の意味するところは伝わらないのである。そのため、犠牲祭という言葉を発した瞬間に日本人には「怖い」イメージを持たれてしまう。やはりマイナスイメージでしかないこの訳はやめるべきだと私は考える。

世界の訳語は多様で、意味の捉え方もさまざまである。例えば、英語では「Feast of the Sacrifice」(犠牲祭)、スペイン語「Fiesta del Cordero」(羊の祭り)、トルコ語やペルシャ語圏では「捧げ物祭り」などと訳されている。またイエメン、シリア、北アフリカ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト)のようなアラブ・イスラム諸国の一部では、「大祭」という名で呼ばれることも多い。私もこの「大祭」という呼び方が、言語的に怖いイメージのある「犠牲祭」に代わる新訳として良いのではと提案したい。そして、「犠牲祭」や「大祭」などのような意訳ではなく、いつかはアラビア語から直接、音訳した「イードアルアドハー」という呼び方に多くの日本人が親しみを覚えてくれるようにと願う。

もちろんイードアルアドハーの本当の意味、つまり「暗の部分」を伝えるには一言では難しいから、今日はこの祝祭について少し書いてみたい。

「イードアルアドハー、おめでとう!」――この時期、街中ではこの挨拶が賑やかに取り交わされる。イードアルアドハーはアッラーに家畜を捧げる祭りである。イスラム教の経典コーランの「アブラハムという羊飼いがアッラーの命じる通りに息子をいけにえとして捧げようとしたところ、アッラーはその信仰の深さを知り、息子の代わりに羊を差し出させた」という話に基づく。

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