「祝祭的脱原発デモは日常化し、分散する」 社会学者、毛利嘉孝さん<「どうする?原発」インタビュー第7回>

ニコニコニュース / 2012年8月30日 17時0分

社会学者、毛利嘉孝さん

 脱原発デモは、「祝祭的」と言われている。音楽を流しながら、仮装した人たちが練り歩き、お祭りと見まごうパレード。そこには、かつて日本で頻発していた、警察と激しく争う安保闘争デモのような様相はない。毎週金曜日に東京の首相官邸前で行われるデモや、東京・高円寺のデモに代表されるような脱原発運動の源流は、どこにあるのか。そして、どこへたどり着くのか。ストリートで展開してきた日本の政治と文化を研究する社会学者、毛利嘉孝さんに尋ねた。

■脱原発デモの源流は80年代

 「安保闘争以後、日本にはデモがなかったと言われています。確かに、基地問題のある沖縄などは別として、政策の中心である東京に限定すれば、個人的な記憶でも大規模なデモはほとんどなかった」と振り返る。

「歴史的には1950年代終わりから1970年代初頭まで、安保闘争をはじめさまざまなデモが頻発していました。それ自体は、ある種のマルクス主義的な思想と結びつきながら、学生、労働組合、政治団体が中心となっていたもので、中にはかなり過激な運動もあった」

 こうしたデモは、連合赤軍あさま山荘事件や連合赤軍のテロ事件などを経て求心力を失い、1970年の大阪万博で幕開けする消費社会の中で、急激に失速してゆく。「政治的な運動が消えたわけではなく、水俣病などの公害運動なども続きますが、デモという形式は見えづらくなりました。消費社会が到来し、若い人たちはデモをダサいと感じ、離れていった。政治的運動は政府に抑圧され、ファッションとしても見捨てられたわけです」

 しかし、唯一の例外があった。1980年代に起こった反原発運動だ。毛利さんはこう指摘する。

「核問題を描いたアメリカのドキュメンタリー映画『アトミックカフェ』が日本でも1982年にヒットしました。連動して尾崎豊さんら有名ミュージシャンが参加したコンサートも開かれ、大衆的な運動になりました。1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて反原発運動が起こり、1988年の集会には日比谷公園に2万人ぐらい集まりました。サブカル系メディアで反原発報道があり、若者の参加率も高かった。これは今の脱原発運動を考える上で重要で、祝祭的といわれているようなデモの源流でもあります」

■進化したデモのスタイル

 こうした反原発運動は、80年代末までは盛り上がっていたものの、90年代のバブルのピークとともに縮小する。「しかし、実は、運動はリニューアルされていました。デモに関していえば、2003年のイラク戦争で起こった反戦運動を契機に、日本でも『サウンドデモ』という形式が出現しました。トラックの上にスピーカーを積んで、音楽を流しながら動く。それまではシュプレヒコール中心だったデモに音楽が入るようになったのです」

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