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第2回将棋電王戦 第1局 電王戦記3.4.5 (筆者:夢枕獏)

ニコニコニュース / 2013年4月1日 14時0分

・[ニュース]第2回将棋電王戦 第1局 電王戦記1.2
http://news.nicovideo.jp/watch/nw564135

 『キマイラ』のことだ。
 ぼくの書いている長編のシリーズに『キマイラ』シリーズというのがある。
 今から三十一年前の一九八二年に朝日ソノラマから第一巻目『幻獣少年キマイラ』が発売されて、別巻を含め、現在までの間に十八巻(ソノラマノベルズ版は、本編九巻、別巻一巻)まで出ている。
 今日言うところの、ライトノベルスである。書き出してから、すでに三十一年が過ぎてしまった。それが、まだ完結していないのである。しかも、まだ書くつもりでいるのである。三十一歳で一巻目が出て、現在ぼくは六十二歳である。
 この『キマイラ』、ぼくの生涯小説となってしまった。
 絵を描いてくれたのが天野嘉孝――天野さんである。
 現在のソノラマノベルズ版は寺田克也――寺田さんが描いてくれている。
 主人公は、大鳳吼(おおとりこう)という十代の美しい少年である。
 身体の中に、幻獣を棲(す)まわせている。
 時に、この幻獣が眼覚め、大鳳を獣に変えてゆく。
 獣化は、その肉体のいたるところに起こる。
 顔と言わず、指先と言わず、腕と言わず、肉体のありとあらゆる場所から、獣が顔を出す。ぞろり、ぞろりと獣毛が生えて、無数の小さな口が出現し、牙が伸び、顎が伸び、それが大きくなって、

 ぎぎ、
 ぎるぎるぎる

 と、哭くのである。
 時に、
              ひゅう~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
         るういいい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  あ~~るういいい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 と、天に向かって、喉を立て、ひしりあげるのである。
 この物語を書くと、ぼくの心は、三〇代のあの頃へ、たちまちもどってしまう。
 そうして、なんとかこの六十二歳になる今日この日まで、この物語を書いてきたのである。
 言うなれば、この物語は、夢枕獏という作家の杖(つえ)のような作品である。
 この作品があるから、これまで、ぼくはなんとか作家という仕事をやってこられたようなものだ。この作品にすがるようにして、これまでやってきた。
『キマイラ』は、ぼくにとってはそういう作品なのである。
 この物語を、ここ数年、ぼくは書けないでいた。
 一番大きな理由は、この『キマイラ』を書いていた"朝日ソノラマ"という会社がなくなってしまったことだ。
 さまざまに、この間曲がりくねったのだが、現在は、朝日新聞出版からこのシリーズは出版されている。
 そして、今年、ようやくこの『キマイラ』シリーズを、数年ぶりに連載再開することになったのである。
 場所は、朝日新聞出版で出している『一冊の本』という雑誌である。
 このことを、川上量生――ドワンゴの川上さんに話をした。
「ぼくは、いつでもどこでも、どういう状況でも原稿を書けますから、ニコニコ動画で、連載第一回目を書くのを中継してくれませんか――」
 そうしたら、この人は言ったんだよ、川上さんがね。
「それなら、ニコニコ超会議でそれを書いて、それを中継しましょう」
「おお、やりましょう」
 あっという間にそういうことになっちゃった。
 実はその時、ニコニコ超会議というのが、どういうものであるのかぼくはよくわかっていなかった。
 ただ、思ったのは、
「それ、おもしろそう」
 であった。
 それだけで、ほとんど何も考えずに、やりましょうと返事をしてしまったのである。
 まことにいいノリなのであった。
 そもそも、ぼくを川上さんに引き会わせてくれたのは、スタジオジブリの鈴木さんである。
 ある用事があって、鈴木さんに会いに行ったら、そこで鈴木さんから川上さんを紹介していただいたのである。
 鈴木さんは、川上さんのことを、
「うちの見習いです」
 なんて言ってるのに、
「川上さん」
 と、さんづけで呼んでいる。
 歳だって、鈴木さんのほうが上なのに「さん」という、なんだか妙な関係が、不思議な魔法のようにそこに成立していて、その不思議さもなんだかおもしろかったのである。
 色々な事情が、多少わかってきたのは、もっと後になってからだ。
 で――
「煽りビデオも作りましょう」
 そういうことになってしまったのである。
 この煽りビデオを作るのは、あの佐藤大輔である。あの、というのは、PRIDEで闘う格闘家たちが入場してくる時、会場に流すあの煽りビデオを作っているあの佐藤大輔のことなのである。
 あの佐藤の大ちゃんのことなのである。
 ワオ!
 だよ。
 だって、あの佐藤大輔が、オレのビデオを作ってくれるんだよ。
 生きててよかった。
 なんだか、凄いことになってきたのである。
 ここで、ぼくはもう、覚悟をした。
 どういう覚悟か。
 ケツの穴まで見せる覚悟である。
 なにしろ、ぼくは、テレビの中で全裸姿で森の中を走り、股間にモザイクをかけられた唯一の作家である。
 ずっと昔――
 プロレスの大仁田選手と、テレビの番組でカラフトまで釣りに出かけたことがあった。
 そのおり、ガイドのIさんとぼくと、大仁田選手で森の中のサウナに入ることになった。
「ほどよくあたたまったら、すぐ前を流れている川に飛び込んで下さい」
 というので、そのつもりでいたら、サウナの中で、Iさんは言った。
「ふたりに、提案があります」
「何でしょう」
「川へ飛び込むのに、股間をタオルで隠したり、手で隠したりするのは、カッコ悪いと思いませんか」
「それもそうですね」
「隠さず、そのまま走って川に飛び込みませんか」
 そうおっしゃるのである。
 我々は、その言葉に共感し、おちんちん丸出しのまま、森の中を走って川に飛び込んだのである。
 かくして、モザイクのかかった股間をさらして走る姿が全国に放映されてしまったのだが、この放映中に、友人の作家である菊地秀行先生から電話があり、
「お見ぐるしいものを、お茶の間にさらすというのはいかがなものでしょう」
 という、あたたかいはげましの言葉をいただいてしまったのである。
 まあ、つまり、やる以上は何でもやるという覚悟を、その時、ぼくはしてしまったのであった。
 打ち合わせをした。
 ぼくと、川上さん、大ちゃんで集まって『キマイラ』の話をするつもりが、何故か将棋の話となったのである。
 米長さんが、ボンクラーズと闘った話だ。
「チェスでは、もう、人間がコンピュータに勝てなくなっています」
「いずれ、人間は、将棋でもコンピュータに勝てなくなってしまうでしょう」
「その時、もしかしたら、将棋というゲームは滅びてしまうのではありませんか」
「ああ、そうなったらどうしたらいいのか」
「いやいや、そんなことはないでしょう」
 かなり燃えて、我々はその話をしたのである。
 佐藤大輔は、この二回目の電王戦の煽りビデオを作るにあたって、
「宇宙の映像を使いましたよ」
 嬉々として語るのである。
 前述したように、ぼくは、多少の縁が米長さんとはあって、さらに書いておけば、実はある雑誌の企画で、大山康晴永世名人と、飛車角を落としていただいて、対局したこともあったのである。
 この時、対局中に、ぼくの打つ手のあまりのヘボぶりに、ついに大山名人は、ぼくに指導をしはじめたのである。
 ぼくが、次の手をどうするか迷っていると、
「金だなあ」
 と、大山名人が言うのである。
「え?」
「金を、ここに打たれたら困るなあ」
 そう言うのである。
 つまり、金をそこに打て、というのである。
 しかし、指をさして教えてくれるわけではない。あくまで独り言である。
 だが、ぼくは、そこがどこだかわからない。
 それに、天下の大山名人が打てと言っている場所に金を打つ以外の手を指す勇気は、ぼくにはない。
 ぼくは金をつまんで、
「うーん、ここかなあ、ここに打ったら、いいのかなあ」
 と、大山名人の視線をさぐりながら、その金を盤上で動かす。
 すると、
「あ、もう少しこっちの、そう、そこあたりは困るんだなあ」
 とおっしゃるので、そこへ金を置いた。
 しかし、ここでたいへんなことがおこってしまった。
 何故、そこへ金を打つと、ぼくが有利になるのか、それが、ぼくにはわからなかったのである。大山名人の頭脳があってはじめてわかる次の手が、ぼくには指せないのであった。
 それで――
 一手指すごとに、
「ここかなあ、ここに指したらいいのかなあ――」
「うーん、そこそこ」
 と、名人に御指導をいただきながら、なんとか勝たせていただいたのである。
 大山名人にしても、雑誌の企画とはいえ、ぼくのようなヘボに本気で勝つわけにはいかなかったのであろう。
 なんとか、ぼくに勝たせたいのだが、それでも棋譜が残る以上、あんまりわざとらしい負け方をするわけにもいかない。
 そこで――
「うーん、金だなあ」
 ということになったと思うのだが、なんとも優しい大山名人に触れることのできた一日だったのである。
 コンピュータには、さすがにこの大山名人のような優しい心づかいはないであろう。
 こんな話をしていたら、
「そうだ、獏さん、それなら、今度の電王戦の観戦記事を書きませんか」
 川上さんが言ったのである。
「やるよ、おれ」
 即座にぼくは答えていたのである。
 それが、ぼくが、この稿を書くことになった流れなのである。
「資格」
 のことを書くつもりが、いきさつの話になってしまった。
 このことをもって、ぼくに、この観戦記を書く資格があるとは、もちろん言うつもりはない。
 が、ともかく、そういう事情ではあったのである。
 で、もう一度、『キマイラ』のことだ。

 寝ました。
 前稿から、この稿までの間に、四時間半ほど寝ています。
 サッカーの日本対ヨルダン戦を見たり、食事をしたりをはさみながら、夜半(よなか)過ぎまで原稿を書いていたのですが、眠くなったので寝ることにしたのです。
 三〇代の頃、つまり『キマイラ』を書いている頃は、月平均五〇〇枚から七〇〇枚くらい、四〇〇字詰原稿用紙に書いておりました。そのころは、徹夜、平気でした。原稿を書きながら寝ました。
 書いていると、眠くなります。それでも書きます。なんだかよくわからない、しっちゃかめっちゃかな文章になります。それでもそれをなおしなおし書くわけです。いつの間にか眠っていて、舌の痛みで眼が覚めるわけです。
 どういうことか。
 下を向いて書いています。
 眠ると、ペンを握ったまま、同じ姿勢で口が少し開く。その口――上の歯と下の歯との間に舌が下りてくるわけです。眠っている間に、その舌を噛む。その舌の痛みで眼が覚めるわけですね。
 それで、また書きます。
 また眠ります。
 舌を噛んでまた眼が覚めます。
 それを無限に繰り返していると、いつの間にか、原稿ができあがっている。
 それを、十年はやりましたね。
 さすがに今は、それはできません。
 眠くなったらたとえ一時間でも寝て、その後また書き出す方が効率がいいとわかっているからです。
 で、寝ました。
 起きて書き出そうとしたら、こんな風に文体が変わっていたわけです。
 こんなことができるのも、これが電脳世界で最初に発信される文章だからでしょう。
 何しろ、紙媒体ではありませんので、ぼくは、かなりのところ、自由です。
 川上さんからは、
「どれだけ長くなってもかまいません」
 と言われています。
 紙媒体だと、ページ数が決まっているので、原稿の長さは、たとえば雑誌などの場合、あらかじめ決まっています。何枚と決められたかたちで注文がくるのです。
 しかし、この原稿は、どれだけ長くなってもいい。
 書くもの、書きたいものがあれば、それを必要な枚数、必要なだけ書いていいのです。
 問題は、長くなってしまったこういう文章を、はたして読む方が、どれだけおもしろがってくれるかどうかです。
 それは、ぼくの方では、皆目(かいもく)見当がつきません。
 つまり、好きなことを好きなように書くという、あたり前のことをやるしかないという、極めて素敵な状態に今はあるわけです。
 普通、こういう原稿は、それが書かれる雑誌の性格などから、読者の好みや年齢層などがある程度見えているのですが、今ぼくは、それがまったくわからない状態で書いているわけですね。
 広い意味で、若者というそういう世代の人たちを意識してはいますが、わからないというのが正直なところです。
 しかし、おそろしいのはいくらでも書けてしまうことですね。
 すでに、次の原稿『大江戸恐龍伝』を書くべき時間帯に突入しているのですが、これはまあ、申しわけありませんが、少ししめきりを伸ばしてもらって、小学館の某編集者に泣いていただくことにいたしましょう。ごめんなさい。
『キマイラ』のことでした。
 これは、本になったのが三十一歳の時であったことは、もう書きました。
 結婚一年目。
 ぼくの年収が、一二〇万円くらいだった頃のことです。
 結婚した時の年収は六〇万円。
 いやいや、こんな人間のところへ、よくもまあ、ひとりの女性が来てくれたものです。
 感謝しなくてはいけませんね。
 この頃、眼をつむっても、キマイラ、書けましたよ。
 何しろ、溜りに溜っていましたからね。
 右も左もわからない、自分が何者かもわからない。
 でも、それまで生きてきた三〇年分の仕込みがあります。恨みつらみもあります。
 逃げていった女性のことを思い出すだけであっという間に、三〇枚、五〇枚の原稿をかっとばすように書いてしまうわけです。
 ペンと原稿用紙だけ。
 あと、必要なものは、全部、裸になってもぼくが持っているものばかりです。
 もちろん、書くのは、自分の読みたいもの。
 永久に終らない、とてつもなくおもしろい物語――それですよ。
 今回はしばらく中断していたその物語を、再び書き出さねばなりません。
 しかし、そこには幾つかの問題がありました。
 主に、ふたつ、あるいはみっつの問題です。
 ひとつは、ぼくの体力です。
 だって、ああた、ぼくが『キマイラ』を書き出したのは、三十一歳の時ですよ。
 今、六十二歳です。
 連載、全部で十三本。
 これに『キマイラ』が加わるわけですね。
 『キマイラ』をはじめたころ、三十一歳と言えば、体力はばりばりです。
 鼻をつまんで、口に濡れ雑巾を咥えて――つまり、無呼吸で全力疾走できる年齢です。
 六十二歳はそんなことはできません。
 残り時間と、残りの仕事のことを考える年齢ですよ。残った時間で、あと、どれくらいの仕事ができるか。あとどのくらいの物語を書くことができるか。
 家の階段を登っても疲れるし、常に飲んでいる薬は、七種類。
 身体のあちこちにガタがきていて、一生抱えてゆくと覚悟している故障箇所や、病気などもある。
 ま、だいたい六十二歳なんて、そんなもんです。
 でも、これは、あの手塚治虫さんが亡くなった歳でもあるんですね。
 カール・ルイスって、いたでしょう。
 一〇〇メートルを、人類で最初に九秒八台で走った選手。
 彼がその記録を出したのは、一九九一年、三十歳の時ですよ。
 今、彼は、五十二歳。
 今の彼がね、一〇〇メートル十秒で走れますか。
 走れません。
 誰であろうと、それは不可能なことです。
 何故か。
 人間だからです。
 生命であり、生き物であるからです。
 細胞が、必ずおとろえる。
 筋力も、反射速度も落ちる。
 あたりまえのことです。
 脳も同じです。
 脳も、筋肉です。筋肉と同じようにおとろえる。
 感性が、磨耗する。
 脳はね、筋肉ほど、年齢によるおとろえは顕著ではありません。でも、おとろえるのです。
 仕方がない。
 人間だからです。
 人間が、生き物だからです。
 でも。
 でもですよ。
 ここが悩ましいところなのですが、キマイラの読者は、ぼくに要求するのです。
 間違いなく要求しているのです。
 あの頃と同じ速度で走ることを。
 六十二歳になった親父に、三〇歳の時と同じように、無呼吸でフルマラソンを走れと言うのですよ。
 それでね、少しでも期待と違うものを見せたりしたら、もうけちょんけちょんにネットでけなす方々もおられるのです。
「夢枕は、もう終った」
 と書く方もおられます。
「書けないならもうやめろ」
 ああ、なんとありがたいことでしょう。
 この六十二歳の親父にですよ、若い時のように走れと、言ってくれるのですよ。叫んでくれるのですよ。これって凄いことじゃないですか。
 この六十二歳のぼくに、今、どのようなキマイラが書けるのか。
 さらに言えば、キマイラはね、一巻目で数十万部を売りました。
 でも、シリーズの宿命で、一巻目よりは二巻目は売れず、二巻目よりは三巻目は売れません。
 これがふたつ目の問題ですね。
 それが、十八巻三〇年。
 今、キマイラは、もちろん商業ベースには乗っております。
 出せば、本を買ってくれる読者がまだいるのです。
 けれど、ここしばらく、ぼくは様々な事情で、キマイラを書けませんでした。
 数年ぶりの連載再開。
 どれだけの読者が、いてくれるのでしょうか。
 もう十年、キマイラをぼくが書き続けるためには、何としても、職業作家として、きちんとした数字を出さねばなりません。
 そりゃあ、ぼくは、無人島でも書く人間です。
 世界でただひとりの人間となっても、たぶん、ぼくは原稿を書いているでしょう。
 これは、もう、病気ですから。
 神へささげる神事のようなものです。
 けれど、できる限り、生身の読者にこだわりたい。
 しかし、今のぼくに、どこまでのパフォーマンスができるか。
 それがみっつ目の問題です。
 それについて、ぼくは日々想い、日々、考えていました。
 そういう時だったんですよ。
 将棋の観戦記を書くことになったのは。
 そういう時だったんですよ、米長さんの『われ敗れたり』を読んだのは。
 落涙。
 泣きましたよ。
 作家も、将棋のプロ棋士も、脳のアスリートですよ。
 あの超大天才、米長さんでさえ、おとろえる。
 そのおとろえを、誰よりも誰よりも誰よりも誰よりも誰よりもよくわかっていたのが、米長さんですよ。
 米長さん本人ですよ。
 その中で、自分が何ができるかを、米長さんは、必死で考えたんですね。
「コンピュータと戦ってやろう」
 確信犯ですね。
 もう、最高ですね、米長さん。
 最高。
 米長さんの考えていたこと、想っていたこと、直面していたもの、わかりますよ。
 おまえに何がわかるものかと言われそうですが、わかりますよ。
 ぼくにはわかります。
 だから、それゆえ、答はもう、出ております。
 全力疾走。
 それしかありません。
 全力で走る。
 それならば、肉体がどれほどおとろえようと、できる。
 やれます。
 ぼくが、キマイラで、皆さんに見せることのできるのは、全力疾走しかありません。
 米長さんが、コンピュータと闘う姿を見せたように、ぼくも、ニコ動で、連載一回目を書く姿をお見せします。
 私は、アナログ野郎です。
 原稿は、手書きです。
 この原稿も、万年筆で、原稿用紙のマス目に一文字ずつ書いているわけです。
 あまり、上手な字ではありません。
 パソコンは、持っています。
 メールも出したりします。
 でも、原稿だけは、どうしても手書きなんです。
 万年筆の先が、紙をこすってゆく感触や、インクの匂いや、かすれが好きなんですね。
 ですから、ニコ動のシステムのことや、ニコ静のシステムのことも本当はよくわかっていないのです。
 手書きの作家は、いずれ、この世からいなくなるでしょう。
 おそらく、ぼくらの年代あたりが、その最後の手書き世代となるでしょう。
 できれば、中継の時は、ぼくの書斎を現場で再現したいと思っています。
 でも、今、これを書いている机や環境は、外へ持ち出せません。
 本が増殖して、あらたな本箱を、廊下や階段に設置してしまったため、外へ出すことができないのです。
 ですから、東京の仕事場の環境を持ってゆくことになりそうです。
 次のようなことを、考えています。
 アナログ親父の仕事場と、仕事をする姿を、デジタル野郎のそのデジタルの最先端のイベントの中で、見せること。
 なんだか、それが、ぼくの役目のような気がします。
 ぼくは、そういう意味では、化石かシーラカンスですよ。
 デジタル野郎の皆さん、手書きのシーラカンスを見に来て下さい。
 ぼくらの世代がこの世から去ったら、二度と見れませんから。

 ああ、そうでした。
 観戦記に、話をもどさなくてはなりませんね。
 先に、対局場に現われたのは、竹内さんです。祖父――お爺様の紋付袴姿でした。緊張しています。
 阿部光瑠四段が入ってきたのは、その後です。竹内さんより緊張しているようでした。
 しかし、指しはじめたら、もう、阿部四段は緊張していませんでした。いつもの実力をきちんと出せたのではないでしょうか。
 第一局目、結局勝ったのは、人間の、阿部光瑠四段でした。
 しかも、コンピュータ習甦がとったかたちというのが、米長玉でした。
 対局後、
「米長さん、どこかで見ていると思いますか」
 阿部さんに訊ねたら、
「この米長玉、そのへんで見ていてくれたんじゃないでしょうか」
 そう答えてました。
 いい顔でしたよ。
 羽生さんが、米長さんに勝った時の笑顔を思い出しましたね。
 阿部さん、まだ十代。
 どこか、当時の羽生さんに通ずるような初々しさもあります。
 これからです。
 雑巾咥えたって、全力疾走できる年齢です。
 次のぼくの観戦は、ぼくは四月の二〇日です。
 その時にまたあらためて、この観戦記の続きを書くことになります。
 ではまた、その時に――
                  了


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