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藤井二冠の自作PCについて最強将棋ソフト開発者に聞いたらトンデモないことが判明した件

ニコニコニュース / 2020年10月29日 12時0分

 藤井聡太二冠誕生────その報道に、日本全土が熱狂しました。

 しかし世間の人々は、将棋のことそんなに詳しく知りません。

 だから29連勝の時は食べ物のことで盛り上がりました。今はもう閉店してしまった『みろく庵』の出前が、豚キムチ雑炊を運ぶ写真が東京写真記者協会賞を受賞するなど、大手メディアの方々もこぞって飯の話題に飛び付きました。ねえ大手メディアくん……もっと将棋のこと報じよ?

 

 ネット上でも、藤井四段(当時)の食事の注文について様々な意見が飛び交います。

 『中学生が昼飯に千円以上のものを頼むなんて生意気だ』『いやいやプロなんだから食に投資するのは当然』『あのビリビリやる財布に親近感がわく……』等々。

 

 じゃあ今回は何で盛り上がったのか?

 それは……パソコンでした。

 

『パソコンマニアも驚愕する藤井聡太二冠の「自作PC」 CPUの値段は50万円』

 こんな記事が大いにバズりました。

 プロゲーマーが世界中で活躍するこの時代。将棋のプロも、プロゲーマーの一種なわけですから、将棋界よりもむしろゲーム界隈が大賑わい。今回は藤井二冠の選択に好意的な意見が多かった印象です。

 

 そして今回も大手メディアは、インタビューでこぞって『自作PC』の話題を振って、藤井二冠の口から様々な情報を引き出しています。

 けど、それだけです。

 

 29連勝の時に豚キムチ雑炊や味噌煮込みが話題になったから他にも好きな食べ物があるかどうかとか、他にも食べ物に関するエピソードがあるかどうか聞いてるのと、何が違うんでしょう? まるで成長していない……。

 重要なのは『高性能のパソコンを使用することで、藤井二冠がもっと強くなるのかどうか』であり、さらに言えば『藤井二冠に勝つためには、他の棋士もこのスペックのパソコンを用意しないとダメな状況になってるのか?』だと思います!

 そんなわけで今回は藤井二冠も使用している将棋ソフト『水匠』の開発者・杉村氏と、その『水匠』をはじめたくさんの将棋ソフトの元となっている『やねうら王』の開発者・磯崎氏から、将棋ソフトの正しい使い方を聞いてみました!

取材・文/白鳥士郎

藤井二冠が購入したCPUは現時点で個人が購入できる最上のもの

──本日はよろしくお願いします。私がプログラミングの知識ゼロなため、こちらの質問に対して開発者のお二人が自由に喋っていただくスタイルで進めさせていただきます。

磯崎:
 はい。よろしくお願いします。

杉村:
 お願いします。

──さっそくですが、藤井二冠が50万円するCPUを購入してパソコンを自作したニュースがバズってました! このくらいのパソコンを用意しないと、将棋ソフトの本物の強さを引き出せないんですか?

磯崎:
 藤井聡太先生が自作されたというのは、スレッドリッパー3990Xという、64コア128スレッドで動作するCPUです。将棋ソフトというのはCPUのコア数が多い方が基本的には強いということになるんですが、藤井先生の買われたこのCPUは現時点で個人が購入できる最上のものになります。

──と、いうことは……現状、ソフトを使用する環境でも藤井二冠は最強ってことですか?

磯崎:
 そうですね。

──杉村さんは例のバズった記事でコメントしておられましたよね? 『家庭用パソコンのCPUが1秒間に約200万手読むのに対し、藤井二冠が使っているCPUでは30倍の6000万手読めます。短時間でより多くの局面を検討できるので、効率よく研究できます』と。

杉村:
 はい。

──効率よく研究できる以上に、その……普通のパソコンでは示してくれなかったような手まで弾き出せるようになるんですかね?

磯崎:
 まずですね……コンピュータ将棋の世界では、思考時間を2倍にすると、レーティングが210程度上がります。

──レーティングっていうのは、人間でいう段位みたいなものですよね? 藤井二冠もよく自分がどれだけ強くなったかを表現するときに使っている言葉です。

磯崎:
 そうですね。レーティング200でだいたい一段だと思ってください。つまり2倍の時間かけると、ソフトは一段強い指し手を示します。

──はい。はい。

磯崎:
 早いCPUやコア数が多いCPUを持ってくれば、より短い時間で強い指し手を教えてくれるということになりますね。人間がソフトを使って序盤研究をしようと思ったら、まあ普通は、起きてる時間しか研究できませんから……。

──なるほど……同じ時間研究しているとしたら、よいパソコンを使っている人のほうが、より深い研究ができるということになりますね。

磯崎:
 今の将棋ソフトは、家庭用のノートパソコンで1手1秒思考させるだけで人間より強い手を教えてくれます。けどプロの世界で勝とうとしたら、そのレベルでは全然ダメで。

──みんな強いといわれるソフトをいいパソコンで動かして研究してるわけですもんね。

磯崎:
 そうですね。

──そういえば少し前、やねうら王をスレッドリッパーにも最適化して、スレッドリッパーで実行した時に従来よりも強くなるような改良を施し、その実行ファイルを用意したと、磯崎さんがブログに書いておられたと思うんですが……。

磯崎:
 ああ、よくご存知で。

──となると、やねうら王というソフトを動かす環境という点においても、藤井先生は理想的なパソコンを手に入れたということでしょうか?

磯崎:
 そうですね。一番コア数が多いので。それにやねうら王はスレッドリッパー向けに最適化されているので、かなり効率よく思考できますね。

CPUを使うソフトとGPUを使うソフト

──水匠はどうでしょうか?

杉村:
 水匠も……。

磯崎:
 水匠も、やねうら王と同じですから。

──水匠は世界コンピュータ将棋選手権で優勝し、現時点で最強のソフトとされています。その水匠を最も効率よく動かせるということは……個人レベルでは、ソフトを使う上で藤井二冠を上回る環境を手に入れるのは無理だと……?

磯崎:
 現実的には入手不可能ですね。ただ……。

──おっ! 何かあるんですか!?

磯崎:
 将棋ソフトは現時点で2種類ありまして。CPUを中心に使うソフトと、GPUを中心に使うソフトです。

──GPUというのは、3Dグラフィックスを処理するのために開発された半導体チップですね。主にゲームの世界で使われていましたが、最近はディープラーニング【※】の分野でも活躍しています。

※機械学習の手法のひとつ。人間が何かしら手を加えずとも、コンピュータが自動的に大量のデータの中からそのデータの特徴を発見する技術を指す。

磯崎:
 CPUを使うソフトが、やねうら王や水匠。GPUを使うソフトには、dlshogiやAobaZero といったものがあります。これらはまだ、やねうら王の強さには及ばないんですが……これがCPUで処理するソフトに匹敵するようになれば、GPUを使ったパソコンで、藤井先生の環境を上回ることもできるかもしれません。

──なるほど……そういえば藤井先生も、永瀬先生(永瀬拓矢王座)との対談(王将リーグ『棋士とニューノーマル#4)で「将棋ソフトもそのうちそういう可能性もありますけどね。GPUで動くという。」と、GPUを使ったソフトを意識した発言をしておられました!

磯崎:
 ただ現状、CPUに特化したソフトのほうが優位にあるので。そういう意味でも、藤井先生の今回の選択はベストかな、と。

──今後、ディープラーニング勢のソフトが強くなり、さらにGPUもより高性能なものが開発されていけば逆転する可能性はある。しかし現時点ではCPU勢が強い。なるほどなるほど。

磯崎:
 ただ、ソフトの性質が全然違うんですよ。GPUを使ったソフトは、大局観がすごく優れてるんです。

──ソフトの話で大局観の話題が出て来るとは思いませんでした! 大局観が優れているということは、序中盤が強いということでしょうか?

磯崎:
 はい。ただ、1秒間にたくさんの局面を読むことはできない。少ない局面しか読めないんです。だから終盤で頓死することがあったり。

──ええ! ソフトって終盤がものすごく正確なイメージだったんですけど、性質によっては全然違うんですね!

磯崎:
 だから仮に、やねうら王とdlshogiが互角の強さになったとして。そうなったら、序盤研究に使うのに適してるソフトがどっちかというと、当然dlshogiのほうが優れてるわけです。少ない局面で、優れた手を示してくれるわけですから。

──用途を序盤研究のみに絞れば、GPU勢のほうが優れていると。

磯崎:
 そうです。勝率が五分五分だとしたらdlshogiを使うべきだと、私は思うんですけどね。

──しかし、まだそれは先の話なんですね。

磯崎:
 そう……ですね。ただdlshogiのほうが優れているなと思う点はあります。

──ありがとうございます! 藤井二冠がどんな環境で将棋ソフトを扱っているかは、とてもよく理解できました! ……ところで我々のような将棋ファンが、将棋ソフトを導入してプロの対局を観戦しようと思ったら、どの程度の環境があったらいいんでしょう?

磯崎:
 そうですねぇ……たとえば今なら4コア8スレッドのノートパソコンが5万円くらいで買えると思うんですけど。このパソコンで1手1秒で思考させれば、人間の強さでいうと十二~三段くらいはあると思いますから……。

──じゅ、じゅうさんだん!? アマチュアの全国大会で優勝すると六段がもらえるんですけど、それより遙かに強い……っていうか段位が上限突き抜けてません?

磯崎:
 将棋倶楽部24だと九段までしかないんですけど、レーティングが200上がるたびに一段上がるとすると、計算上はそれくらい強いということになります。

──これ、1手2秒にするとレーティングがさらに210上がるわけですから……。

磯崎:
 十四段になる。長い時間考えさせれば、いいマシンに匹敵しちゃうわけです。

──そうなんですね! 素人が家庭用パソコンを使ってプロの将棋を観戦しても「今の形勢はこんな感じか~」とか「さっきの手は、こっちのほうがよかったのか~」とか、かなり正確にソフトが教えてくれるんですね。

磯崎:
 長い時間考えさせるところがミソかなと、私は考えてます。

──となると……強いソフトというのは、短い時間でいい手を教えてくれるってことでしょうか?

磯崎:
 そうですね。同じ時間を使った場合の勝率の比較なので。片方だけ2倍の時間を考えてもいいなら、さっきの話と同じで一段差(レーティング210差)があっても同じ強さになりますから。

水匠の強さの工夫

──やねうら王からはたくさんのソフトが派生していて、その中でも杉村さんの水匠が現時点で一番強くなったと思うのですが、それはどんな工夫をなさったからなんでしょうか?

杉村:
 そこはですね……水匠は、やねうら王ベースではあるんですけど、やねうら王の探索部はStockfishというチェスプログラムを参考に書かれていまして。

 やねうら王のほうは探索部の更新がここ2年ほどなかったものですから、最新のStockfishの更新をやねうら王に反映させた人がいまして(mブランチと呼ばれる)。それが本家のやねうら王よりも短時間だったら勝率が高かったので、水匠では、これを採用しました。

 あとは評価関数という……まあ、局面を読んだ上で評価する部分があるんですけど、それについても今まで公開されているソフトの中では一番強いだろうと。

──探索部と、評価関数。ここを改善して強いソフトを作ったんですね。

杉村:
 あとは、スレッドリッパー3990Xという、一般人が手に入る一番いい……(笑)

──藤井二冠のパソコンと同じCPUを使っていると(笑)

杉村:
 というのも、それまで世界コンピュータ将棋選手権の上位陣はAWSとかGCPという、クラウドコンピュータで動かして対局させていたんですけど……。

──AWSは、アマゾンが提供してるサービスですね。囲碁のプロはこれでソフトを動かしていると、一時期話題になりました。GCPはグーグル・クラウド・プラットフォームの略で、同じようにグーグルが提供するサービスです。

杉村:
 スレッドリッパー3990Xを使ったほうが、それよりも強いということがわかったんですよ。

──聞けば聞くほど藤井二冠のCPU選びが好手だとわかって戦慄しますね……。あと水匠は定跡を作る際にも工夫をされたと、どこかで読んだのですが。

杉村:
 定跡を作る際には、先手も後手もどちら側のソフトも『こっちが有利だよね!』っていうような、先後の評価が一致している棋譜を抽出するようにしました。評価が分かれていてあとからどっちかが『間違ってました!』と反省するような棋譜は省いています。

──なるほど! どっちも正しいと評価しているのであれば、より正確さが担保されているわけですもんね。

杉村:
 はい。評価が分かれている棋譜だと、仮に勝ったとしても逆転勝ちだったのかもしれません。そのような棋譜をベースに定跡に入れてしまうと負けちゃう可能性があるので……。

 私は『圧勝率』と呼んでいたんですけど、先後の評価が一致して勝利している棋譜、すなわち圧勝している棋譜のみを勝利扱いとする形で勝率を計って、その勝率をベースにして定跡を作るということをしていました。

──けど、どれだけ強いソフトでも、負けるということは……間違った序盤を指しているということになるんですね?

杉村:
 それはそうですね。序盤の定跡を作っていても、間違った評価がなされている局面を基にしてしまった定跡というのも当然含まれているので。性能がいいパソコンで動かす性能のいいソフト相手には、序盤で負けたのか、序盤は上手く指したけど逆転負けしたのかはわかりませんが……。

100万局面以上の定跡を持ったとしてもまだまだ穴はある

──磯崎さんは、やねうら王で『テラショック定跡』という、ものすごい定跡をつくっておられるとうかがっていますが……。

磯崎:
 はい。コンピュータ将棋の大会って持ち時間が短いので、事前に長い時間をかけて調べておけば、それだけ強い手を指すことができますから。

──さっきの、2倍時間をかけたら一段強くなるというのと同じことですね。それを事前にやっておくのが、ソフトの作る『定跡』なわけですね。

磯崎:
 事前計算の一種ですね。

──プロ棋士が家で研究してきて、序盤はどんどん飛ばして指していくのと似たような感じでしょうか。しかしそうなると、ソフトが考える序盤というのはもうとんでもない強さになってると思うんですが……どんな将棋を指してるんですか?

磯崎:
 何か、角換わりが多いとか……そこは杉村さんのほうが。

杉村:
 floodgateといって、そこでコンピュータ将棋ソフト同士が対局してるんですけど、けっこう千差万別というか。人間が指す、相掛かり・角換わり・矢倉というのは全部指されています。雁木はプロ棋士の中では一時期ほど指されなくなっていると思うんですが、雁木も多い。この4つが多いです。

──『矢倉は終わった』なんて言われましたけど、ソフトも矢倉、指すんですね! 振り飛車はいかがでしょう?

杉村:
 振り飛車はほぼ指さないです。振り飛車を専門で指すように仕向けたソフト以外は。

──プロの将棋はその時その時の流行があって、爆発的に指されるような状況が生まれることがありますが、ソフト同士の将棋も何か一つの戦型に収束していくようなことはあるんでしょうか?

杉村:
 今の段階では、ないみたいです。居飛車であるということと……ソフト間では横歩取りがほぼ指されなくなったように、居飛車の作戦の一部が消滅することはあるみたいなんですけど。『絶対相掛かりがいいです!』とか『絶対矢倉指します!』みたいな、そういう収束はないみたいですね。

──プロの世界では、大流行した角換わりも先手がちょっと厳しいんじゃないかといわれたり、豊島先生(豊島将之竜王)もソフトだけで研究する方法にある種の行き詰まりを感じておられたりと、一時期より停滞しているような印象を受けます。ソフトはそういう行き詰まりみたいなのはなく、まだまだガンガン強くなってるんでしょうか?

磯崎:
 ソフト自体は強くなってるんですけど、定跡が整備されてきているかというと……やはり大量に時間がかかりますから。私のテラショック定跡というのは、100万局面以上は定跡を持っているんですが……。

──ひゃ、ひゃくまん!

磯崎:
 1手1時間思考させるとして、100万局面×1時間で、100万時間は費やしてるんですよ! その計算リソースを持ってる人は他にいないというか……そこに計算資源を突っ込める人は普通、いないので。

──いないでしょうねぇ……。

磯崎:
 だから他の人は、floodgateの対局を見て、勝ってるほうの棋譜の序盤を定跡にするとか……そのレベルでやっちゃうので、バラつくんですよね。

──穴が生まれちゃうんですね。磯崎さんは、その穴が生まれないようにやってると。

磯崎:
 いやぁ100万局面では、まだまだ……。穴がいっぱいあったりして……。

杉村:
 ふふふ。

──大局観に優れるというディープラーニング勢のソフトと比べても、負けない定跡なんですよね?

磯崎:
 大会の場合、1手30秒とかなんです。テラショック定跡はやねうら王で1時間かけて作ってるので……ただ、ディープラーニング勢のソフトのほうが序盤に関して優秀なら、それ使って定跡作りたいですよね。そういう気持ちはなくはないです。

──いずれ、そちらを使うかも?

磯崎:
 シフトするかもしれないですね。定跡を作ることに関しては。

──しかし100万局面となると……仮に必勝戦法が生まれたとして、それを人類が暗記して使うのは無理なんじゃないですか?

磯崎:
 主要な変化だけなら暗記も可能でしょう。たとえば横歩取りとかなら、憶えるだけは憶えられるかもしれない。細かいところは別として。

──ふーむ…………藤井二冠は、個人で揃えられる最強の環境を作って、ソフトを使って研究しているということなんですが……ぶっちゃけどんな研究をしてると思います? パソコンのスペックや使用してるソフトを聞いただけで、そういうことはわかるものですか?

磯崎:
 結局、将棋ソフトの上でやっちゃうんで……。

──やっちゃうんで?

磯崎:
 まあ、大した研究できないんじゃないかと。

杉村:
 言うと思いました(苦笑)

──ええ!?

ソフトを使ってする研究は大したことない?

──藤井二冠がソフトを使ってする研究が『大したことない』って……どういう意味なんです!?

磯崎:
 何を言いたいかといいますと……たとえば、角換わりの4八金型の将棋って大流行してますよね?

──はいはい。2九飛・4八金と構える形ですね。ソフトの影響で、あらゆる戦型で大流行していると勝又先生(勝又清和七段)のインタビューでも教えていただきました。

磯崎:
 あの4八金、あれを3八金にしたらどうなん? っていう考えは当然あると思うんですよ。一路(1マス)場所が違った時に、果たして形勢はどうなるのかというのは。

──はい。確かに気になりますし、その発想は素人でも当然出てきます。

磯崎:
 他にもたとえば、お互いに端歩を突き合っている局面だとどっちがいいのだろうかとか。

──びみょ~~~に、局面が違う場合ですよね。大勢には影響がなさそうに見えて、実は影響があるのかもしれない。そこは確かに人類が調べようと思っても、あまりにも局面が膨大だから調べ尽くせないところです。

磯崎:
 けど、プログラマーだったら? 何かの駒が一路だけズレてる局面とか、任意の手数の交換が入ってる局面とか、条件を決めてやれば全ての組み合わせを列挙してそれぞれを思考させるようなプログラムを書けるんです。

──ふむふむ。

磯崎:
 ところが藤井先生は将棋ソフトだけを使っているから、そんな網羅的にやるのは不可能なわけです。

──ああ! なるほど……そういうことなんですね。いくらいいパソコンを持っていようとも、マウスでポチポチやってるだけでは確かに非効率です。

磯崎:
 だからチェスの世界では、プログラマーとチェスのグランドマスターとかが一緒になって研究をするような例もあるらしいんです。将棋ソフトも本来はそうなるべきかなと思うんですけど……。

──そこまでやってるっていう話は聞かないですね。

磯崎:
 将棋の場合、優勝賞金は大きいんですが対局料自体はそこまで高額ではないので……プログラマーを雇うというのは難しいかもしれませんね。

──プログラムを組むことができるレベルの知識がないと、将棋ソフトを使ってても、有効と言えるまでの研究はできないんですね。

磯崎:
 ただ、藤井先生のレベルにまでなれば、どこを調べればいいのか当たりを付けることはできると思うんです。網羅的に調べなくても、有効そうな部分に絞ってソフトに調べさせればいいと。

──それこそ大局観のようなものを使って、研究すべき局面を限定できると。なるほどそれも一理ありますね。

磯崎:
 だから網羅的にやる必要がないといえば、そうなのかもしれませんけど。ただ網羅的にやる方が、これまで発見できなかった新手などを見つけられる可能性は大きいですよね。

現在のコンピュータ将棋ソフトの定跡の発想は『互角で渡り合ってとりあえず序盤はしのぐ』

──そういう網羅的に調べるプログラムって、どの程度の知識があれば書けるんでしょう?

杉村:
 Pythonというプログラミング言語を用いるなら、Python-shogiというのを使って棋譜を取り込んで、Ayaneというのを使ってやねうら王を呼び出せば、そういうのは簡単にできるようになってるんですよ。Pythonを使える人はたくさんいますし、プロ棋士の谷合先生(谷合廣紀四段)はPython-shogiのコードを使った揮毫(きごう)を書いていたことがありましたね。

──プロ棋士になっても東大で研究を続けているという、あの谷合四段が! Pythonの教科書も執筆しておられる方ですから、自分で何でも作れちゃいそうですね。

杉村:
 だからPythonをちょっと使えて、あとは『こういうふうにすれば、こういうことが調べられるな』という仕組みを理解すれば、プロ棋士の先生でも比較的簡単にできると思いますよ。

──杉村さんは本業が弁護士さんですよね? 本業をお持ちで、しかも文系だと思うんですけど、それでもすごく強いソフトを作ることができた……ということは、プロ棋士でも同じように強いソフトを作れちゃうんでしょうか?

杉村:
 できると思います。私のプログラミングの知識は、磯崎さんからすれば幼稚園レベルだと思いますよ? けど『こういうふうにやってみようかな?』という気持ちがあって、『このレベルなら何とかなるかな?』っていうプログラミングを書いて、工夫したら、何とかなりましたから。

──ふーむ……。

杉村:
 技術的な面だったら、プロ棋士の先生が1ヶ月……いや1ヶ月いらないくらい勉強すれば、たぶん私の技術には辿り着きます。

──……ほんとにそうなんですかぁ?

杉村:
 ホントにそうです!(笑)

磯崎:
 ま……司法試験に受かるレベルの頭のいい人が1ヶ月くらいあれば、簡単なプログラムなら書けるでしょうからね。

──それこそ谷合先生みたいにPythonの教科書を執筆するレベルなら……。

磯崎:
 あの方なら、ガチでやねうら王を改造すること自体できるはずですけど。ディープラーニングを研究していらっしゃるそうなので、dlshogiを改造することもできるでしょうね。

──では……そういうプログラムを組んでソフトを使いこなしたとして、どのくらい棋力が上がるとお二人は思われますか?

磯崎:
 序盤を調べ尽くしたとしても、それが決定打となって勝てるわけではないので……。藤井先生も、中終盤がめちゃめちゃ強いので『序盤で作戦負けしなかったら勝てるやん』くらいの話なのかもしれません。

──ソフトでゴリゴリ研究して序盤から圧倒する……というのとは、そもそも発想が違うと。

磯崎:
 中終盤そんな強くない人が、序盤だけ何百万局面調べても、勝てないですよね。だから(ソフトを使って序盤を研究するということ自体)藤井先生がやるから意味があるのかなという気がしますし。

杉村:
 うんうん。

磯崎:
 現在のコンピュータ将棋ソフトの定跡の発想は、『必勝!』とか『有利にしてやろう』ではなく、『互角で渡り合ってとりあえず序盤はしのぐ』っていう考え方なんです。

──終盤に絶対の自信があれば、その発想に落ち着きますね……なるほど。


ソフトを使っても人間が強くなるわけではない……かもしれない

──話は変わりますが、お二人はご自身の開発されたソフトを使って、プロの将棋を観戦なさることはありますか?

杉村:
 私はよくやります。

磯崎:
 杉村さんは、将棋ファンが嵩じて将棋ソフト作ってるんで。私は……プロの将棋を見てもしゃーないんじゃないかと。自分が強くなるためには、ソフトの指した将棋のほうが精度が高いですし、参考になるものがいっぱいある。だからプロの将棋は一切見ないです。

──今って、たとえば中学生や小学生の大会に行くと、子どもたちがノートパソコンやタブレットを使って、自分が指した将棋を分析するんです。それで、どこが悪かったかソフトに教えてもらってから、また次の対局に臨む……みたいな感じで、プロ棋士より圧倒的にソフトが身近な存在なんですよ。
 その傾向は今後、どんどん加速していくと思うんですが……お二人は自分の作ったソフトを、アマチュアや子どもにどう活用してほしいですか?

杉村:
 そう……ですねぇ。たとえばやねうら王であれば、パッケージ版が発売されたりして、棋力向上のための機能も備わってます。けど水匠は、人間を強くしようというものには、残念ながらなっていなくて。

──そもそも人類の棋力向上を想定して作られていないと。

杉村:
 コンピュータ将棋選手権で優勝しよう! というためのソフトなので。将棋が強くなりたいという人のためになっているかというと、正直なところ、わからないという。かつ、どうすれば人間が強くなるのかっていうのは、わかっていないんです。

──プロはソフトのおかげで強くなったと言う人がいるのに、開発者の方がそういうことをおっしゃるのは意外でした。

杉村:
 藤井先生は「将棋のAIが示す評価値や読み筋を見て、なぜそうなるのかを自分なりに考えて体系化することによってソフトを利用しています」というようなことをおっしゃっているんですが……。

──おっしゃっていますね。ええ。

杉村:
 私はそれを聞いて……「何を言ってるのかわかんない」と。

──ははははは! ええー?(笑うしかない)

杉村:
 あのー……そうやって体系化したものが正しいのはやはり、藤井先生の才能であって。一般の人が評価値や読み筋を見て考えて自分なりに体系化したところで、その体系化が正しい保証はなくて、全然……強くなんないんじゃないかなと。

──そうなんですね……。

杉村:
 ソフトは評価値や読み筋は教えてくれます。けど、それをどうやって自分の中に吸収すればいいのかは、わからないです。

──磯崎さんはどう思われますか?

磯崎:
 私もねぇ……自分の棋譜をソフトで解析して、そこから悪手を見つけるくらいのことはできると思うんですけど、その勉強がそもそもいい勉強なのかという問題もありますし。

──自分で考えて将棋を指したほうがいいと?

磯崎:
 実戦で将棋を指すことは、先のことを考えるというトレーニングにはなっています。けど……『そのトレーニング、いるか?』という気持ちもあって。

──でも、指さないと強くなれなくないですか?

磯崎:
 たとえば算数で、延々と足し算だけやってても、数学ができるようになるわけじゃないですよね? 

──ああ! 言われてみれば確かに……。

磯崎:
 短い時間で、その局面に応じた、良い手を発見するゲームなわけで。序盤は暗記できても、序盤を抜けたところで必ず見たことのない局面になります。だから正解を暗記するゲームじゃないんですよ。自分が指した悪手をソフトが教えてくれたとして、それを暗記することが果たして効率のいい勉強法かというと……。

──ソフトに悪手を教えてもらっても、それはその場限りの正解を知るだけで、スッキリするかもしれないけど勉強にはなってない……かもしれない。

磯崎:
 実戦で考えてる時間というのも、トレーニングにはなるんですけど、『強くなるためのトレーニング』ではないので。

ソフトを使って実力が向上できるのはそもそも強い人

──ふーむ……。その『強くなるためのトレーニング』というのは、たとえばどんなものを考えていらっしゃいます?

磯崎:
 次の一手問題集を何千問やるとか、詰将棋の実戦型のものを何千問やるとか。そのほうが密度が濃いじゃないですか。実戦って次の一手問題の連続と言われることはありますけど、カスみたいな局面もあるわけで。そんな局面で時間使って考えても何にもならないので。

──まさかソフト開発者の方からそんなアナログな方法が出てくるとは! けど私もピヨ将棋相手にヘタな将棋ばかり指して一向に強くならないので、とても耳が痛いです……。

磯崎:
 そんなカスみたいな局面の連続である自分の棋譜をソフトで調べて悪手を調べたかて、しゃあないんじゃないかと思うこともあって。

──んー、なるほどなるほど……杉村さんはどうお考えですか?

杉村:
 悪手を発見したとしても、それを憶えても意味がないわけです。『なぜその悪手を指してしまったのか』『なぜこの手がいい手なのか』とか、そういう部分を考えていかないといけないんですけど……それを考えて、その考えが正解という人は、たぶん実力が相当ある人。

 で、実力がない人が考えても、同じ局面で同じ悪手を指さなくなるかも知れませんが、違う局面だと対応できない。つまり、実力はほとんど変わらないということだと思います。

──ソフトに『それ悪手だよ!』と言われた時に、それが何故なのか考えて、それだけで実力が向上できるのは、そもそも強い人なわけですね。

杉村:
 ええ。ソフトから『悪手だよ』と言われてそれを覚えただけでは、実力はつかない。では未知の局面で悪手かそうでないかを判断できる実力を付けるには……まあ、んー……どうやればいいん、です、か、ねぇ……?

──もともと判断力が優れた人でないと、ソフトに悪手や読み筋だけを教わるような学習方法では棋力は伸びないということなんでしょうか?

磯崎:
 時間効率が悪いかなと。『なぜこの形がいいのか?』という感覚的なものを伸ばさないといけないから。

──大局観とかですか?

磯崎:
 大局観も含めてですけど……そこを伸ばすには、たとえば『銀が(あちらの升ではなく)こちらの升にいる形の評価値はどうだろう?』と網羅的に調べる必要があります。けど既存の将棋ソフトは局面編集をしないといけないので、かなり面倒なんです。そこを自動でやってくれて『ここに銀がいる形がいいですよ!』と自動で教えてくれるソフトがあったらいいんですけど、今のところなくて。

──そういう駒の位置関係を簡単に体系化してくれるような、学習に特化したソフトというのは、開発可能なんですか? 手の意味を教えてくれるとか……。

磯崎:
 できるとは思いますけど……ニーズがどの程度あるのか。本格的にやろうと思ったら、すごく手間暇がかかっちゃうと思いますし。あと、将棋ソフトを買ってくれる人って、ある程度将棋が指せる人なので。

──あんまり強いソフトを高いお金を払って初心者が買うとは、確かに思えませんね……。

磯崎:
 『初心者に優しいソフト作ったら売れるやん!』って夢の中では考えたりするんですけど(笑)。実際に作っても売れないという、厳しい現実がございまして……。

──私の作品も将棋ゲームになるんですが、売り上げが怖くなってきました(苦笑)。

どのソフトをどう使っているのか明かすのは研究の上で不利になる可能性も

──最近、プロ棋士の方に番組などご出演頂いた際に『将棋ソフトを使っています』と発言される場面はよく見かけるのですが、ソフトをどんなふうに使っているかを語っていただけることってほとんどない印象です。ソフトの使い方を語ると自分の手の内を晒すことになってしまうからなんでしょうか?

杉村:
 ソフトの使い方については、確かに言ってくれる人ってほぼいないんですよ。千田先生が少し言ってくださるくらいで。使ってるソフトすら言わないという人もいるくらいで。

──ソフトと棋士の関係を詳しく取材した大川慎太郎さんの『不屈の棋士』という本の中で、羽生先生は「何を使っているかは言いません」とはっきり答えを拒否しておられたり、あまり積極的に自分から言う人も少ない印象です。

杉村:
 最近、藤井先生がインタビューで『水匠を使っています』と言っておられて、それは嬉しかったんですが……やはりそれ言っちゃうと、若干不利になるんですね。

磯崎:
 相手も同じソフトで調べて、しかも相手のほうが長い時間思考させると、そっちが調べた手のほうが強くなっちゃうので。

──対局してて「こいつ俺の半分の時間しか思考させてないな!?」と当たりを付けられちゃったり?

磯崎:
 そこまでわかるかは……けど、相手がどの程度研究に時間を割けるかは当たりが付けられるでしょうから、それより長い時間ソフトに思考させた手を用意すれば、研究で上回ることは可能ですよね。

杉村:
 水匠だと、たとえば角換わり37手目同形から4四歩を指してしまうというバグみたいなのがありまして……。

──有名なやつですよね。杉村さんもツイッターに書いておられますし。

杉村:
 これは有名なんで誰もハマらないとは思うんですけど、そんなように『評価値的になぜかプラスになってしまうんだけど3手先の局面で思考させるとマイナスになる』っていう局面はいっぱいあるんですよ。

──水匠ほど強くなっても、そういうのが出てきちゃうんですね。

杉村:
 となると、それを探されると不利じゃないですか。だから、どの評価関数を使ってるかは言いたくないはずなんですよね。ましてや勉強方法なんてもってのほか、ということなのかもしれませんね。

開発者はプロ棋士にどうソフトを使って欲しいと考えているのか

──では逆に、開発者の方々は『もっとこういうふうにソフトを使って欲しい!』というのはありますか?

杉村:
 あー……どうですかねぇ。私は、ただ局面を検討させて評価値を見るよりも、ソフト同士に連続対局させた上でその勝率を見て序盤の定跡を作ったほうがいいだろうと思っています。あと局面が違っても『この戦型なら、終盤にこの五手一組が一致して出るよ』っていうようなのは抽出できると思うんです。この五手一組みたいなのが手筋と呼ばれるものになるんでしょうし……。

──なるほど。終盤の手筋。

杉村:
 そういう使い方をすれば、今みたいな局面を検討させて評価値を見るだけよりはマシな使い方になるんじゃないかなというアイデアはあります。そういう方法で、どなたか一緒にやっていただけないかなー? とは、思いますけど……。

──チェスの世界みたいに、プロ棋士とタッグを組んでやってみたいと?

杉村:
 ええ。序盤は勝率ベースで作った定跡を、終盤は戦型別に抽出した手筋を憶えていただいて、活用して頂くような方法でできないか……みたいなことは、考えてます。

──最強ソフト水匠の開発者とプロ棋士のタッグが結成されたら、すごいことになりそうですね! 森内先生が女流棋士の鈴木先生を鍛える企画をYouTubeでやっておられますし、対抗してソフト開発者が棋士を鍛える企画をニコ動でやるなんて話題になりそうじゃないですか!? 磯崎さんはどんなアイデアをお持ちでしょうか?

磯崎:
 コンピュータ同士、対局させるんです。1万局くらい。その対局をマージ(統合)して、一本の分岐棋譜にしまして。で、その分岐棋譜を見れば『ここに馬作ったことが優勢』みたいな全体を通した特徴が見えてくるんで。

杉村:
 そうです。そうそう。

磯崎:
 1万局をもとに、その戦型の勝ち方のコツとか、どの駒がポイントになるとかっていうのを、そこから学べばいいのになぁ……って思うんですけどね。

──けど、1万局も対局させるのって……。

磯崎:
 既存のソフトじゃ難しくてですね。そもそも生成された棋譜をマージする機能が既存のソフトには搭載されてないですし。それにただ対局させると、同じ将棋ばっかになっちゃって。指定局面周辺の数手がバラけてほしいんですけど、それをバラけさせるのにはコツが必要で、普通に対局させるだけじゃ無理で。

──ははぁ……。

磯崎:
 棋風が違う何個かのソフトを使ったりしたいんです。指し手自体がバラけててほしいですし。いろんな方法で生成した、研究局面からの1万局くらいの棋譜を1個の分岐棋譜にしたものから学べばいいのになぁ……というのが私の考えなんです。

──けど、その機能を持つソフトは現状存在しない。となると……。

磯崎:
 プログラマーの方にお願いしないといけない。だから本来は、『こういう研究がしたいんだけど』ということをプロ棋士の方が提案して、それにはこういうプログラムが必要でとなって、それをプログラマーの方が『じゃあ作りますわー』と進めて行くのが、真っ当な方法だと思うんですけどね。

──お二人のお話をうかがっていると、いかに人類が非効率にソフトを使っているかがわかります。ただそんな使い方でも、ソフトは将棋界に大きな衝撃を生み出しています。

磯崎:
 最初の頃にも言いましたけど、藤井聡太先生レベルになると、こうやって網羅的にやらなくても急所を理解しておられるから、そこだけやればいいのかもしれない。けどそのレベルにない場合……たとえば私は将棋クエストで四段ですけど、私だったらこういう方法で勉強したいですかね。

──磯崎さんが『強くなるための勉強法』のところでおっしゃった、感覚を養うためのものですね。

磯崎:
 いわばビッグデータのようなものを、頭に突っ込まないといけないんじゃないかなと。

プロ棋士とプログラマーがタッグを組む未来も

──たくさんお話をうかがってきました。まとめると、こんな感じでしょうか。

●ソフトを使うためには、いいパソコン(CPUのコア数が多いパソコン)を持っていると、短い時間で研究できて効率的。

●藤井聡太二冠の持つパソコンは、現状で個人が所有できる最強のパソコン。

●しかしソフト自体が研究用に設計されていないので、非効率な面もある。

●さらに効率よく研究しようとすると、専用のプログラムを開発する必要がある。

 チェスの世界では実際に行われているということですし、今後は将棋界でも『プログラマーと組む』という方法が、ソフトを使う上でトレンドになるかもしれませんね。

磯崎:
 でも結局ね、他の人との比較なんですよ。藤井聡太先生が最強のCPUを搭載したパソコンを所有しているというのがポイントで。みんなノートPCしか持ってなかったら、自分だってノートPCで研究しても互角には戦える。

──しかし藤井先生がもうスレッドリッパーを買ってしまった以上、序盤で藤井先生と互角に戦おうと思ったら、少なくともそれと同等のパソコンを所有しないと研究負けしてしまう……。

磯崎:
 あとプログラマーと組むという方法も、誰か一人がそれをやり始めてしまって、タイトル戦に出たりというようなことになってくると『これ俺もやらんと研究で競り負けるやん』となってくる可能性もある。

杉村:
 うん……。

──果てしない軍拡競争みたいになっちゃうんですね。

磯崎:
 だから将棋界が全体として『プログラマーとは組まない』という選択をすれば、そういう流れにはならないですし。

──禁止されてるわけじゃないとはいえ、プログラマーを雇うとなれば、高いパソコンを買う以上に資金面での差が棋力の差に直結するような状況になりかねませんね。50万円のCPUで騒いでるのがかわいく思えるくらいの。

磯崎:
 プロ棋士一人が専属でプログラマーを雇うという方法は難しいかもしれませんが、たとえば5人くらいのチームで1人毎月5万円くらい出し合ってプログラマーの方にお願いして共同研究をするとか。それはありえるかも。

──あとは、ソフトネイティブで育ってきてる下の世代の子どもたちには、プログラムの知識も有する強い棋士も現れるかも? 自分で有効なプログラムを書いて研究できるような。

磯崎:
 それは生まれうると思います。けどそもそも、1万局面生成して……みたいな方法も、言うなればまだ私の妄想なわけで。まずは『ソフトを使った有効な研究方法』というのが実証される必要がある。そこすらまだ手探りですよね。開発者はそれぞれ『こうしたらええやん』という妄想は持ってるんですけど(笑)

杉村:
 ええ。はいはい(笑)

──開発者の皆さんは、現状は言うなれば趣味で将棋ソフトを開発してらっしゃるわけですよね? やねうら王は市販されてますから、お金は得ているとはいえ……。プロの将棋を観るのが好きなのが嵩じて最強ソフトを作ってしまった杉村さんであれば、ご自身のソフトや技術力を将棋界の発展にも繋げたいという気持ちをお持ちなわけで、その気持ちや情熱がよい形で実現したらいいなー……と、私なんかは思ってしまうんですけど。

杉村:
 うーん……プロ棋士の先生から、開発者に協力を求めるという流れは、今はまだ難しいかなと思うんですよ。だからまずはこちらがソフトの使用方法を提示して成果を出して、そこから協力の輪が広がっていけばいいなと。

──いや~、ありがとうございました。もっと『ソフトを有効に使ったら一気に棋力アゲアゲさんだぞ!』みたいな話になるかと思ったんですけど、そもそもどんな使い方が有効かというのを実証するとこから始めないといけないんですね……。 
 じゃあ『藤井聡太二冠はソフトで強くなったわけではない(キリッ)』みたいなことを新聞なんかがよく書いてるんですけど、それは正しいわけですか。

磯崎:
 それはそうですね。

杉村:
 そう思います。けど、AIを使った研究でも負けてないなとは思います。藤井先生相手に序中盤から不利になって負けてしまう方も多いですからね。一度も評価値が上向くことなく負けてる。

──水匠を使って将棋観戦なさってる杉村さんの言葉だけに、重いものがありますね……。

杉村:
 おそらく評価値と読み筋だけ見て研究していると思われる藤井先生の序盤研究に追いつけてない。

──しかも、パソコンの性能ですら大多数のプロ棋士は藤井二冠に劣っている。

杉村:
 ええ。藤井二冠より序盤を広く深く研究して、研究勝負で上回ることができたのであれば、少なくとも序中盤で100点なり200点なり上回ることができてもおかしくないと思うし、実際にそのような方もいらっしゃるんですけど……ほとんどの方が一回も100点くらいの差すら付けさせてもらえず負けてしまう。

──そういう現実がありつつも『俺はソフトの評価値なんかより自分を信じるぜ!』と言い続けるのか、それともせめて序盤くらいは上回る方法を考えるのか。

杉村:
 それでも中終盤で負かされるかもしれませんけどね。あれだけ終盤の強い方ですから。

もし将棋漫画にソフトを使いこなす強敵が登場するとしたら

──最後に、ネタ出しに付き合っていただいてもいいですか? お二人はたとえば、将棋漫画なんかに『ソフトを使いこなす強敵』みたいなのを出すとしたら、どんなキャラがいいと思われます?

磯崎:
 えっとね。チェスの世界で……いや、オセロのほうがわかりやすいかな。オセロってもうかなりの部分が解析されてて、結論が『引き分けじゃないか?』と言われてる(トッププレイヤーがそう考えている)んです。

──引き分け! そうだったんですね……そこまで解析されてるのか。

磯崎:
 だから大会だと、定跡の変化に行くと相手もその定跡をかなり詳しく知っていて損なわけです。それでわざと、少しだけ不利な定跡を選ぶんです。その先をめっちゃコンピュータで調べ倒すわけですよ。それを憶えておく……みたいな人たちばっからしいんです。

──手数が少ないとはいえ、そんなことになってるんですね!

磯崎:
 だから将棋の世界でも、ちょっとだけ不利になって、かつ自分でその局面に誘導しやすい……たとえば筋違い角みたいなのなら、角を交換してから打てばいいだけですから。

杉村:
 渡辺先生(渡辺明名人)と豊島先生の名人戦で、1局目に渡辺先生が香車を一つだけ上がったのがあったじゃないですか。あれも評価値的には若干不利になることを渡辺先生は知ってて、けど豊島先生の研究を外すために採用した。香を上がってからの局面をめちゃめちゃ調べてるんです。

──その対局は『将棋世界(2020年11月号)』でもご本人が「聞いた話ですけど、その思考は囲碁の世界でも主流になってるそうです。ソフトの示す最善手はみんな研究してるから、さほど評価値の下がらない他の手をあえて採用することが増えてると」と語っておられますね!

杉村:
 定跡を外しつつ、自分の研究局面に持ち込むというのは、あるんです。実際にやってる方もいらっしゃる。

──ただ、それをするにもかなりセンスが必要になってくるんでしょうか?

杉村:
 山崎先生(山崎隆之八段)が使ってる『パックマン戦法』【※】って、あれ評価値が100くらいしか下がらないんですよ。だからめちゃくちゃ優秀。100点くらいなら人間にはぜーんぜん勝敗に影響しないうえに、自分しか知らない局面に誘導できるという意味で。

パックマン戦法……無条件に取れるように見える4四歩を指す後手が用いる奇襲戦法。

──なぁるほど! ちょっとだけ評価値が下がるほうが、人間との対局ではむしろ優秀な戦法として認識されつつあるんですね!

磯崎:
 しかもその先を自分しか知らないというのがすごく大きいんです。相手は知らないのに、自分はソフトの考えた指し手を知ってるから。人間に換算したら二十段くらいある人とバトンタッチして序盤を指してもらってるのと同じですから(笑)

──いやぁ勉強になります! 今後、将棋漫画で『我はソフトの最善手全てを暗記した最強の棋士……!』みたいなのが出てきたら、爆笑しちゃいそう(笑)

3990Xが本当に最強なのかは未知数

磯崎:
 あと、最後にね……これは今まで話してきたことが前提から崩れてしまうかもしれないんですけど。

──えっ。何でしょう?

磯崎:
 スレッドリッパー3990Xが128並列というのを最初にお話ししたんですけど、将棋ソフトって並列化効率が悪くてですね。128並列なのにその平方根である11倍程度の効果しか得られないんです。

──えっと……本当なら、128倍じゃなくちゃいけないんですよね?

杉村:
 それに関しては最近私が実験したんですけど、128並列で1手200万局面読ませたやねうら王と、32並列で1手100万局面しか読ませないやねうら王を対戦させたら、100万しか読んでないほうが勝率が高かったんです。

──え! 勝ったらダメじゃないですか!

杉村:
 100万と200万だったら、200万読んでるほうが勝つと思うじゃないですか? でも128並列で200万読むというのは、そんなにいい手ばかり読んでるわけじゃない。ムダな手も読んでしまうので、32並列で読ませたほうが勝率がいいという……あんまり並列させて一つの局面だけを読ませるのが強いかは、わからないんです。だから3990Xが本当に最強なのかどうかってのは……

──わからない?

杉村:
 私も最強だと思って買ったんですけど(笑)

磯崎:
 128並列で11倍の効果しかないんであれば、ノートPCを4台くらい持って来て、それぞれ違う局面を解析させる。で、1台目は1~30手目まで解析させる、2台目は31~60手目まで解析させる……というような方法のほうが、1台5万円くらいのノートPC4台で済むので安上がりで効率がいい可能性があります(笑)

杉村:
 ただ、それもやりかた次第ですよね。磯崎さんであれば効率のいい方法をやれますけど……結局、単に将棋GUI上でソフトを動かすだけではとても非効率ということなんです。プログラマーの方なら、128並列のCPUを使って128局面を同時に計算させるという方法を取れる。
 今後は強いPCを持ってるだけじゃなく、それを有効に扱えるようプログラムを組むという方法へも進化していくかもしれないなと思います。

──なるほど。ハードの性能を上手く引き出すという面からでも、やはりプログラマーと組んで研究するという方法には利点があるということなんですね。本日はありがとうございました!

磯崎:
 はい。ありがとうございました。

──ちなみに今回の記事の原稿料は、11月21~22日に行われる将棋ソフトの新しいオンライン世界大会『電竜戦』に寄付させていただきます。将棋ソフトには、私も執筆の上で大変お世話になっていますので……この記事もそうですが、開発者の方々のモチベーションに少しでも繋がればと。

杉村:
 ありがとうございます。電竜戦、よろしくお願いします!


 いかがでしたか?
 将棋ソフトは現在もどんどん強くなっていますが、人類はまだそれを100パーセント使いこなせているわけではないことをご理解いただけたのではないでしょうか。
 そして藤井二冠は将棋だけではなく、将棋ソフトの使い方においても研鑽を怠らないこともご理解いただけたと思います。

 そんな将棋ソフトの発展に最も寄与したイベントが『電王戦』であったことは、誰もが認めるところでしょう。
 人類vs人工知能という刺激的な対決は、一般社会における将棋の認知度を飛躍的に高めると同時に、プロ棋士と将棋ソフト双方のレベルを革命的といえるほど向上させました。

 電王戦でソフトとの対局を経験し、そこから人間との研究会を全て辞めてソフト研究に没頭した豊島将之竜王が棋聖・王位・名人・竜王・叡王と恐るべき勢いでプロ棋界を制覇していったのは、象徴的な出来事だったと思います。
 その電王戦が役目を終えて、叡王戦という人間vs人間のタイトル戦へと移行し……そして奇しくも豊島先生が奪取した第5期叡王の就位式において、ドワンゴが主催社の立場から退くことが発表されました。

 この発表に接した将棋ファンには大きな動揺が走りました。
 独自の視点で作るニコニコの将棋番組がどれだけ将棋ファンに愛され、求められていたのか……。
 電王戦、そして叡王戦を共に戦ってきたプロ棋士や女流棋士たちは、当時の思い出と共に感謝の言葉を次々と発しました。
 そして将棋ソフト開発者たちからも、ドワンゴに対する感謝と惜別の声がたくさん寄せられました。

 ですがこれでドワンゴが将棋から完全に離れてしまうわけではありません。
 タイトル戦の主催社という立場ではなくなりますが、ニコニコニュースでは今後も将棋の記事を発表していくとのこと。
 ニコニコらしい独自の視点で、これからも刺激的な記事をお届けします!


 人類はまだ将棋ソフトを100パーセント使いこなせていません。
 そうであれば将棋ソフトを使ったイベントや中継もまた、発展の余地があるはずです。
 
 それができるのは、電王戦を実現させたドワンゴしかないということを、私たちは知っています。

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