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68歳ギタリスト山本恭司、14年ぶりVバウ復活「元気なうちは全う」小さなライブでも真剣勝負

日刊スポーツ / 2024年9月23日 8時27分

ギターを手にポーズを決めるBOWBOW山本恭司(撮影・横山健太)

<情報最前線:エンタメ 音楽>

進化し続けるギタリスト山本恭司(68)。BOWWOWとVOWWOW、WILD FLAGのバンドに加え、ソロでは「弾きまくりギター三昧」や同郷の俳優佐野史郎(69)との「小泉八雲朗読のしらべ」など、さまざま活動を並行して行っている。ファンが待ち望んだVバウ復活の裏側と今後を中心に、山本の原動力を探った。【川田和博】

    ◇    ◇    ◇

Vバウが6月末、14年ぶりに再集結。そのチケットは即完売だった。山本の元には復活を望む声が殺到していたという。

山本 全国各地どこへ行っても「Vを再結成して」と必ず言われる。でも「できたらいいね」と、それぐらいの返事しかできなかった。僕も「また絶対やりたい」と思っていても、なかなかそうはいかない。「もしかして、このまま本当に伝説のバンドで終わるのかな」と思っていた。

その問題の1つが、ボーカル人見元基だった。90年の解散後、人見は教職の道へと進んだ。人見の存在はVバウにとって必要不可欠要素だ。

山本 公立校だったので校長から「あまり目立ったことはするな」と言われていたようです。今もまだ臨時講師ですが、自由も利くようになったし、告知でもアルファベットの“GENKI”しか書けなかったのが“人見元基”と書けるようになった。

同ライブはVバウデビュー40周年と“新美俊宏一周忌”に位置付けられた。76年のBバウデビューからともに歩み続けたドラムの新美さんが亡くなったのは、昨年5月だった。

山本 突然がんで倒れて、入院してから2~3週間であっという間に逝ってしまった。僕と厚見(玲衣)くんはまだ話ができるうちに会えたけど、元基とキンさん(佐野賢二)は会えなくて…。

盟友の突然の死が、山本に教訓を与えた。

山本 この世からいなくなったら、もう本当に会えないわけで…。ついみんな希望的観測で「いやまだ大丈夫。きっとまだ会えるチャンスはある」と思っちゃう。でも今回のことで、多少の無理をしてでも会えるうちに会わなきゃいけないと、みんなが本当に身につまされて感じた。

皮肉にも、盟友の死がVバウ再集結を加速させた。前哨戦は昨年末だった。

山本 僕と厚見くんが毎年クリスマスにセッションをやっていて、そこに「元基も呼んでみない」って。完全シークレットで出てもらったら、喜んで泣く人が続出でした。バラード3曲だったけどすごい世界ができて「とんでもなくすごいね。うちらは」って(笑い)。「これにドラムとベースが加わったら、すごいことになるね」という会話で笑顔が生まれるほどの素晴らしいセッションでした。

そして迎えたVバウ復活劇。そこでは想定外のことが起きた。

山本 何も求めていないのに大合唱! 突然みんなが歌い始めたから、その場でアレンジを変えた。「どうやって戻ろうか」って元基とね(笑い)。すごい光景でありがたかった。現役時代にもそんな要素はあったと思うけど、みんな聞く態勢でしたから。自分で言うのも何ですけど、Vバウはすごいことをやっていたので。

同ライブで来年1月の追加公演を発表。だが、気になるのはそれ以降だ。

山本 正直言って、まだ決まっていません。でも、少なくとも年1回はという気持ちは、みんなの中に芽生えていると思う。自分ができるうちに、しかもファンが見られるうちにね。まだちゃんと話し合っていないけど、僕の中ではそんな気持ちです。

80年代と今。そこには大きな差があるという。

山本 今僕らは誰1人として事務所にも、レコード会社にも所属していない完全なフリー。だから、自分のやりたいことをやりたい時にやれるミュージシャンの集合体なんです。一応表からはプロに見えるけど、気持ちはアマチュア。ある意味、理想的なんです。

Bバウでは7月、スウェーデンのロックフェスに招請された。

山本 主催者が14歳からのファンで「ようやく呼べた」って。行ったことがない国であれだけの人が熱狂してくれるのは、そういう音楽を作れていたという証明になったし、僕らも実感できた。まだ何も決まっていないけど、別のオファーは来ています。

10月には故郷島根でオーケストラと共演する。

山本 故郷はすごく大事にしていて、こういうスペシャルなライブができるのは本当にうれしい。「継続は力なり」は本当ですね。辞めていたらVバウの再結成もないし、地元でオーケストラとやらせてもらうこともない。でもこの年までハードロックをやっているとは想像もしなかった(笑い)。音楽に携わっていることは想像できても、70歳近くになって重いギターを持って、連獅子かぶって跳びはねているなんて想像できないでしょう(笑い)。でもそれをスウェーデンでもね。改めて元気な体に産んでくれた両親に感謝です。70歳を目前に、全力疾走中だ。

山本 僕の音楽を聞いて幸せな気持ちになってくれたり、感動で涙を流してくれる人がいる。これこそ天職だと思うんです。全ての人に天職があると思っているけど、全ての人がなれるわけではない。僕は幸い巡り合えて、続けさせてもらっている。そこには感謝しかない。だから「自分の体が元気なうちは全うすべき」だと思っている。僕が日々真剣勝負という気持ちでベストを尽くし、みんなが笑顔になってくれて、その笑顔を見て僕はその倍ぐらいの幸せをもらっている。好循環なんです。

■小さなライブでも「真剣勝負」

「自分の辞書に“退化”はない」という山本。「これだけ長く生きて、誠実に音楽を続けていれば、それはもう進化し続けるしかない」と語った。「年を重ねれば人生の積み重ねで深みも出ます。これはある意味当たり前のこと。でもそれを変に怠けたり、『これぐらいでいいか?』だと劣化する」とした。「だから小さなライブでも真剣勝負」とし、「そうやっている人たちに音楽的な劣化は絶対にない」と明言した。

■「自由に音楽」人見は教職へ転身

90年のVバウ解散で教職へと転身した人見。その心中を山本が推測した。「当時の事務所やレコード会社には“縛り”みたいなものがあった」とし、「自由に音楽をやりたいというのはミュージシャンの当たり前の欲望。でも“こういう人とそういう音楽はあまりやってほしくない”とかが、どこかにあった。だからまあ、そういったところも含めて、元基としては嫌だったのかなと思うんです」。

◆山本恭司(やまもと・きょうじ)1956年(昭31)3月23日、島根生まれ。15歳でギターを始め、75年に斉藤光浩、佐野賢二、新美俊宏とBOWWOW結成、76年「吼えろBOWWOW」でデビュー。83年イギリスツアー後解散。84年に人見元基、厚見玲衣、佐野賢二、新美俊宏とVOWWOWを結成、90年解散。91年WILD FLAG結成、95年新生BOWWOWをスタート。

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