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作家・まさきとしか~創作教室で短編を書いたら人生で初めて褒められた

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年8月4日 8時10分

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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に作家のまさきとしかが出演。小説を書くことになった経緯について語った。

まさきとしか

黒木)今週のゲストは作家のまさきとしかさんです。まさきさんは2007年に『散る咲く巡る』で第41回北海道新聞文学賞を受賞なさってから、数々のミステリー小説を書かれています。独身でいらっしゃいますが、母親の気持ちというものも、深く追求して書かれています。想像で書かれているのですか?

まさき)想像ですね。むしろ、母親の経験がないので、子どもの目線で母親を描けるのではないかと自分では思っています。

黒木)小さいころから文章を書いたり、本を読んだりすることはお好きだったのですか?

まさき)小学生のころは、家に児童向けの『世界名作全集』がありました。『若草物語』や『小公女セーラ』など、気に入ったものを繰り返し読んで、頭のなかで勝手にアレンジし、妄想して楽しんでいました。中学生になるとSF小説を読むようになり、特に星新一さんのショートショートが好きで、星新一さんの本はすべて読みました。クラスに同じようにSFが好きな友達がいて、彼女と交換日記ならぬ、交換SF小説をしていました。

黒木)そのころから創作していらしたのですか?

まさき)そのときは友達の方が「やろう」という感じで、私はそれほど小説を書いていませんでした。小学生のときに童話風のものを書きましたが、中学生になってその友達に誘われなかったら、書いていなかったと思います。ただ、読書体験は中学生で終わってしまって、高校生になると遊ぶことに夢中になり、それから10年以上、本とは無縁の生活を続けていました。小説家としては読書体験が乏しいと思います。

黒木)そうなのですね。でも、あるとき藤堂志津子さんの小説を読んで、川辺為三さんの創作教室に行かれることになったのは、書いてみようという気持ちになったからですか?

まさき)私は大学を出て、何年もフリーターをしていたのですが、無職の時代もありました。無職のときにあまりにも暇だから、何か習い事をしてみようと思いました。そこで新聞を開くと、カルチャースクールの案内があり、小説を教えてくれる創作教室というものが目につきまして、その先生が藤堂志津子さんを世に出したと言われる川辺為三先生でした。初めは小説を自分で書くつもりはなく、藤堂志津子さんが好きだったので、川辺先生に会ってみたい、という冷やかしのような気持ちで受けてみたのです。そうしたら、創作教室というのは、書きたい人が30枚ほどの短編を書いて、その短編を先生や生徒みんなで批評するというスタイルでした。せっかくだから書いてみようと思い、書いたら思いがけず褒められました。それまでの私の人生は本当にダメ人間で、褒められたことなどなかったので、「もしかして、私、小説を書く才能があるのかな」と勘違いしてしまい、その勘違いが小説を書くきっかけになりました。

黒木)本当にひょんなことで。お好きな作家さんを育てた方という偶然も、偶然ではなかったのかも知れないですね。

まさき)その教室では、『平場の月』がベストセラーになった朝倉かすみさんも習っていて、同期です。

『あの日、君は何をした』

まさきとしか/作家

■1965年、東京都生まれ。北海道・札幌育ち。札幌市に在住。
■2007年、『散る咲く巡る』で第41回北海道新聞文学賞を受賞。
■2013年、母親の子どもに対する歪んだ愛情を描いたミステリー『完璧な母親』が刊行され話題になる。
■他の著書に『夜の空の星の』『熊金家のひとり娘』『大人になれない』『いちばん悲しい』『ゆりかごに聞く』『屑の結晶』などがある。
■最新刊は『あの日、君は何をした』(小学館文庫)

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