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没後4年……星野仙一氏が遺したものと、2人の“星野イズム”継承者

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2022年1月6日 17時20分

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、1月4日が命日だった故・星野仙一氏にまつわるエピソードを紹介する。

球場に訪れた星野仙一氏=2017年3月31日 京セラドーム大阪 写真提供:産経新聞社

球場に訪れた星野仙一氏=2017年3月31日 京セラドーム大阪 写真提供:産経新聞社

中日・阪神・楽天の3球団で指揮を執り、全チームを優勝に導いた星野仙一氏。ガン闘病の辛さは周囲に一切見せないまま、2018年1月4日、70歳でこの世を去りました。楽天球団から正式に発表されたのは、星野氏本人の意向もあって1月6日。前年の暮れまで「殿堂入りパーティー」などで元気な姿を見せていただけに、年明け早々、突然飛び込んで来た訃報には衝撃を受けました。

あれからもう4年が経ちますが、毎年、命日が近付くと各メディアで生前の星野氏にまつわる記事が出て、改めて影響力の強さを感じます。そんな「星野イズム」の継承者として、今年(2022年)、新たな環境に挑む2人の野球人がいます。

■立浪和義 中日新監督

よく「星野直系」と称される中日・立浪和義新監督。1987年、中日からドラフト1位指名を受け、PL学園から鳴り物入りで入団。最初に出会った指揮官が星野監督です。

「プロ入りして最初の監督が星野氏だった」という選手のうち、NPBの監督を務めるのは立浪氏が7人目になります。その数だけでも、星野監督の影響力の大きさを知ることができますが、立浪氏が就任会見で語った次の言葉もまた、「星野イズム」を強く感じさせる一言でした。

「選手には勝ちに対する執念をしっかりと植え付けます。強いチームをつくる、勝つ野球をする。そのためには妥協はしません」

~『中日スポーツ』2021年10月29日配信記事 より

この他、立浪監督が就任会見で掲げたのが「長髪・茶髪・ヒゲ禁止」でした。選手たちはさっそく従いましたが、ここでも感じるのは、監督時代によく「身だしなみの重要性」を説くと同時に「ユニフォームは戦闘服」と口にすることが多かった星野氏の影響です。

実際、若き日の立浪“選手”は休養日の月曜でも休まず練習することが求められ、軽めの練習であってもユニフォーム姿でいることが当たり前だった、とよく語っています。

中日OBのなかには、立浪監督に星野時代を彷彿とさせる「厳しさ」を求める人もいます。しかし、ただ厳しいだけではいまの若い選手たちはついて来ません。中日監督時代、「鉄拳制裁」とも呼ばれたときに手を上げる指導法は、当然ながらいまはできませんし、肯定もできません。もちろん、星野氏自身も時代の変化を自覚し、楽天では選手への接し方を変えていましたが。

いま、星野氏から学ぶべき点は、若い選手たちと正面から向き合い、実戦で使い、厳しい勝負のなかで育て上げて行ったことで、その手腕にはいまも学ぶところ大です。立浪監督は就任会見で、こうコメントしています。

「われわれが入った時のような、当時の星野監督は厳しくて当たり前で、これだけ人は怒られるのかというくらい怒られました。それが今も通用するとは思っていません。選手とコミュニケーションをとりながら、今の時代に合った指導法を考えたい」

~『中日スポーツ』2021年10月30日配信記事 より

星野イズムを根底に受け継ぎながら、いかに時代に合わせたバージョンアップを加えるか。立浪監督の手腕が試されています。

また星野監督は、若手や新戦力を積極的に起用した指揮官でもありました。その代表格が、立浪氏自身です。中日入団1年目の1988年、高卒ルーキーにもかかわらず、星野監督は立浪選手を開幕からショートで先発起用。新人王と高卒新人初のゴールデン・グラブ賞を受賞したことから、立浪氏の「ミスター・ドラゴンズ」への道が始まりました。ちなみにこの年、中日はリーグ優勝を飾っています。

近年のドラゴンズを見ると、ドラフトでは2018年から根尾昂、石川昂弥、高橋宏斗と3年連続で地元の高校生を1位で獲得。3人とも他球団が羨む逸材です。しかし、前任の与田監督は若手の抜擢に消極的だったこともあり(石川は故障もありましたが)彼らが1軍で活躍していないことに不満を抱くファンも少なくありません。

星野イズムを受け継ぐ立浪新監督なら、彼ら3人を積極的に起用するでしょうし、すでにその意向も示しています。また、球団が補強に積極的でない分、ドラフト1位ルーキーのブライト健太や、2位の鵜飼航丞ら、大学球界でも指折りの逸材を抜擢する可能性も。自分もかつて同じ立場だっただけに、使われる側の気持ちもわかるのが立浪監督の強みでもあります。

■平石洋介 西武新打撃コーチ

星野氏といえば、故郷・岡山県倉敷市にあった「星野仙一記念館」が2021年11月30日をもって閉館したことでもニュースになりました。その閉館日にわざわざ記念館を訪ねたのが、元楽天イーグルス監督で、今季から西武ライオンズの1軍打撃コーチを務める平石洋介氏です。

「最も影響を受けた監督は誰かというと間違いなく星野さんだった。今の僕があるのは星野さんのおかげ。最後に来ようと思った」

~『中日スポーツ』2021年11月30日配信記事 より

平石氏は、楽天がパ・リーグに参加した2005年に選手として入団した“イーグルス1期生”です。意外に思う方もいるでしょうが、平石コーチは現役時代、星野監督の下でプレーしたことはありません。

平石氏は2011年オフ、戦力外通告を受け引退。そのまま楽天のコーチに就任しました。そのタイミングで楽天の監督に就任したのが星野氏だったのです。平石氏と星野氏は、立浪監督のように「選手と監督」ではなく、「コーチと監督」という関係からスタートしました。

星野体制のもと、平石氏は「球団初の生え抜きコーチ」としてまずは2軍コーチを務めると、2013年からは1軍の打撃コーチ補佐に昇格。星野氏のそばで腕を振るい、この年、楽天は球団創設初の日本一を達成したのです。

星野氏が亡くなった2018年、平石氏はシーズン中に辞任した梨田監督に代わり、監督代行に就任。翌2019年、正式に監督へ昇格します。そのオフ、チームを3位に導きながら、1年で楽天監督を退任。すぐソフトバンクからコーチとして声がかかり、昨年(2021年)オフにソフトバンクを退団すると、今度は西武のコーチに就任。指導者として引っ張りだこの存在になっています。

平石氏は、人生の岐路にあたってはいつも、兵庫県にある星野氏が生前に住んでいた居宅を訪ね、祭壇の遺影に向かって相談と報告を重ねるほどの信奉者。星野語録で印象に残る言葉は、たくさんありすぎて絞れない、と言う平石氏ですが、なかでも特に忘れられない言葉があると言います。

『忘れられないのは「野球人口が減っている。野球ができる環境が減っている。野球界が危ない」という、野球界の未来を憂う言葉の数々。「僕もそれをものすごく意識するようになりました。コーチとしてチーム(西武)が勝つためにやるのは当然なんですけど、今後の野球界のためにもみんなで力を合わせてやっていかなければと思っています」』

~『週刊ベースボールONLINE』2021年12月5日配信記事 より

実際、星野氏は「野球人口減少」に歯止めをかけるべく、生前、アマ野球の大会をいくつも支援していました。少年野球の大会をはじめ、「マスターズ甲子園」のような高齢者向け大会まで多岐に渡り、普及活動にも積極的でした。

我々が星野氏の影響力の大きさを改めて知るのは、少年野球大会に出場した選手たちが、甲子園やプロ野球界で活躍するようになったときなのかも知れません。

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