1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

シライシ紗トリ- Key Person 第18回 -

OKMusic / 2021年10月20日 10時0分

■面白いものを作っている時は あまり仕事っぽくてはいけない

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第18回目は、ORANGE RANGE、岡崎体育、乃木坂46など、数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけるシライシ紗トリ。1995年から作家としてのキャリアが始まり、ソロアーティストとしての活動も続けながら“面白いものを作る”ことを貫くその姿勢は、どんな道のりによって形成されていったのだろうか?

シライシ紗トリ

シライシサトリ:数多くのアーティストの作詞、作曲、編曲、プロデュースを手がけるトップクリエイター。ORANGE RANGE、SCANDAL、岡崎体育、藤木直人、乃木坂46、Disney作品、U-NEXTサウンドロゴ、ウルトラマンオーブなど幅広い音楽制作をしている。近年、自身がプロデュースをするアーティストのMVの監督を務めるなど映像作品にも力を注ぐ。2005年に発表した1stアルバム『Happydom』はニューヨークのアバタースタジオなどでレコーディング。レイ・パーカー・ジュニア、ウィル・リー、オマーハキムなど海外のミュージシャンが多数参加している。

■上京したての頃は やるしかないと必死だった

──シライシさんは小学6年生の時にお姉さんがやっていたバンドのベースに誘われたそうですね。その頃にはもう音楽にどっぷりハマっていたのでしょうか?

「いや、その時はまだ全然でしたね。姉が受験勉強をしたいからって代わりに入ったんですけど…姉はベースではなかったはずなんですよ。でも、なぜかベースで入ることになり、新聞配達をしてYAMAHAのJB600Rを買いました。」

──もともとバンドをやりたい気持ちはあったんですか?

「それさえもなく、怖い姉だったので逆らえなかっただけで(笑)。」

──そうでしたか(笑)。でも、そこから音楽に興味を持つようになっていったんですね。

「そうですね。Sex PistolsとThe Policeが大好きで、姉の影響でビリー・ジョエルとオフコースも聴くようになって音楽に目覚めました。初めて買ったレコードはオフコースの「さよなら」で、初めてライヴで演奏したのもピアノの弾き語りで「さよなら」です。田舎なので周りもとにかくマニアックな人たちが多くて、P-MODELのカバーをやっていたり、メタルも多かったし、うちのバンドはSex Pistolsとオフコース。好きな曲を自由にやるバンドでしたね。」

──中学卒業後に上京し、ジャズピアニストの橋本一子さんを師事していたそうですね。

「音楽学校のメーザー・ハウスに通いながら、江古田のBUDDYってライヴハウスでバイトを始めて。一子さんは講師もやっていたし、BUDDYにも出ていたのでそこから広げようと思ったんですけど、一子さんに“あんた、ジャズやりたくないんじゃん!”と言われて(笑)。しばらく経ってから“俺が入った世界はニューウェイブだったんだ!?”と気がつきました。でも、一子さんにはいろんな仕事を紹介してもらって、ずいぶんお世話になりましたね。」

──すごく必死な学生時代だったと。今はご自身の楽曲リリースもしながらクリエイターとしても音楽活動をされているわけですが、以前からそんな想像はありましたか?

「まったくなかったです。」

──そんな中、西城秀樹さん、ダイアモンド☆ユカイさんらが出演するアミューズ主催のロックミュージカル『D-LIVE-Rock to the future』(1996年7月3日から7月14日に赤坂BLITZにて上演)での楽曲制作が、突如シライシさんのキャリアのスタートとなったと。

「そうです。懐かしいな(笑)。オーディションで知り合った方から、初めてサウンドプロデューサーという仕事をいただきました。」

──さらに、1995年に久宝留理子さんの「コンクリートジャングル」で作家デビューし、1996年には金子美香さんとのユニット・PARADISE LOSTでデビューと、アーティストとクリエイターとして一気に道が切り開けていきますが、その当時はどんなお気持ちでしたか?

「もうやるしかないと思ってやっていました。でも、やっと音楽業界にかかわれたという気持ちもあったと思います。初めての印税もその時で、銀行口座の通帳を思わず二度見したり(笑)。すごく変化のあった時期でしたね。」

■音楽のスペシャリストになるほうが 面白くなってきた

──先ほどThe Policeが好きというお話もありましたが、1987年にリリースされたスティングのアルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』が音楽業界で仕事をする精神的なきっかけとのことで。どんなエピソードがあるのでしょうか?

「スティングがソロアルバム『ブルー・タートルの夢』と『ナッシング・ライク・ザ・サン』をリリースした時に“すげぇ!”と衝撃を受けたんです。“こういうことがやりたい!”という気持ちになったというか。」

──直感的に力をもらったと。

「はい。ミクスチャーが始まる少し前で、ロックとジャズ、フュージョンみたいなのがいい具合にクロスオーバーし始めた時期だと思うんですけど、それがカッコ良くてお洒落だと思ったんですよね。スティングはもともとパンクの人だから、言ってることも歌ってることも大好きで。それがどんどん洗練されていって、“こういう成長の仕方があるんだ!?”と思ったんです。」

──作曲家やプロデューサーとして影響を受けた人物はいますか?

「Aerosmithのプロデュースなどもしていたブルース・フェアバーンとか、Bon Joviの曲を書いていたデズモンド・チャイルドも自分の中でキーパーソンだったと思います。ブルース・フェアバーンはプロデューサーとして影響を受けた人で、“スティーヴン・タイラーにこんなにダメ出しできる人がいるんだ!?”みたいな衝撃もありました(笑)。デズモンド・チャイルドは当時ヒット曲をたくさん書いていて、プロデューサーとソングライターとバンドっていうのがちゃんと成立してロックをやっているのがすごいなと。音楽業界の背景が垣間見えたような感じでした。」

──上京された時はいわゆる裏方の仕事をするとは思っていなかったわけですが、思い描いていた仕事との違いに戸惑いはなかったですか?

「うん。それよりも音楽のスペシャリストになることのほうが面白くなってきたのかもしれない。自分がアーティストでやっていこうとしていた時代って、思い描いていたアーティスト活動のスタイルが日本の音楽業界になく、“こういうふうに活動したいわけじゃない!”という気持ちがずっとあった。今となってはだからこそよりコンテンツ作りに向いていったのかなという気はしてるけど。」

──シライシさんは遊ぶ感覚で音楽を作っているそうですが、いつ頃からそういった意識でできるようになったのでしょうか?

「2002年にSMAPの「freebird」を作詞作曲したあたりに、上がったり下がったりの波を経験して。すごく悩んだり、自分にとって音楽がどうあるべきなのかを考えたタイミングがあったんですけど、面白いものを作るっていうのが大事だから、面白いものを作っている時って仕事感覚になるのはあまり良くないかもって思うようになったんです。いいものを作る時は、責任はどうでもいいというモードになりたかったというか。お金を稼がなきゃ、食えるようにならなきゃってモードだと、ひとつひとつの仕事をやっつけちゃうのかなと思ったんですよね。なので、好きなことをやって食えないのなら、だったらバイトをすればいいって考えるようになって(笑)。」

──売れる売れないの波や、世間の飽きを受け入れた?

「そうかも。そういうものなんだって気がついたというか。ぶっちゃけて言うと、エンターテインメントはなくてもいい商売だから。誰かが楽しんでくれて、そこに100円、200円を払ってくれることによって成立しているだけの話で、チップにしか過ぎないって思えたんです。それは今も変わっていなくて、やりたいことは自分のやりたい責任領域でやればいいっていう。自分が作るものを良く思ってくれるのであれば、それはすごく嬉しくてありがたいことだけど、それに安心して食い続けるという感覚でいてはいけないと感じたんだろうね。」

■音楽は哲学だったり、 生き方だったりする

──シライシさんのスタンスとは真逆のモードのアーティストをプロデュースすることもあると思いますが。

「2005年にリリースしたソロアルバム『Happydom』を作りにアメリカに行った時、自分が何かをするという立場をプロデュースと呼ぶわけではないってことに気づいて。“プロデュース”と言っても、同じ物作りにかかわっている人というくらいの気持ち。音楽はちょっと哲学だったり、生き方だったりするから、その人が持っている人生はその人のものなので、かかわる時はそこに100パーセントいいかたちでかかわりたいと思うようになりました。」

──最初は“スティーヴン・タイラーにこんなにダメ出しできるのか!?”と衝撃を受けたプロデュース業だけど、それだけではないことを知ったのが大きい?

「あれで変わりましたね(笑)。こちらも勉強もさせてもらうし、そのおかげで成り立っている立場でもあるから。」

──『Happydom』の制作は、ご自身にどんな影響がありましたか?

「スティングを支えていた人たちと一緒に制作をして、“このままでいいんだ”ってことと、“これは考えなくてもいいんだ”ってことの2種類を持って帰ってきたんです。どんなバックグラウンドであっても、どんな立場でも、人種でも、音楽をやる上では何も関係ないから、“目の前の人をリスペクトするかどうか”だけなんだということを痛感できた。それまでは“プロデューサーってこうあるべきじゃないか”とか、“アーティストってこうあるべきじゃないか”っていうのを引きずっていたところがあったから、そういうのがなくなったんですよね。プロデュースすることも、自分の作る曲も、フルフラットになった。インターンさせてもらったような気持ちで作れたのが『Happydom』かな?。」

──配信でのリリースが普及したり、今ではSNSなどで切り取って音楽が広まることも多いですが、そういった聴き方が変化していく中で思うことがありますか?

「アウトプットの時代の流れはあまり意識していないです。カセットテープがCDになって、MDも出てきて、今はストリーミングになって…と形態は変わってるけど、いいコンテンツを作るっていうのは同じだし、絶対に音楽はなくならない。なくてもいいものだからこそ、音楽は素晴らしい娯楽でもあるわけで、相反するものがいつも共存しているんだと思います。良かったものに投げ銭してもらうのが音楽として正しいかたちだと思うから、ストリーミングで無料で聴いてもらって…こっちは頑張って金払って作ってるけど、聴く人はそんなこと考えずに、もっと貪欲に音楽に触れればいいんじゃないかな? かたちはこれからもどんどん変わるだろうしね。」

──先ほどブルース・フェアバーン、デズモンド・チャイルドも出てきましたが、最後にシライシさんにとってのキーパーソンとなる人物は?

「もうひとり崇拝している“こういうおじさんになりたい”っていう方は、キース・リチャーズですね。何かあった時の辞書にしています。悩んだり、ふと気がつくとキースを聴くし、生き方に惹かれているのかな? 理屈じゃなく、ミュージシャンとして、男として、アーティストとしてずっとカッコ良くて、この人を見ると本当に元気になる。笑顔になるね。」

取材:千々和香苗



この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング