土曜の「半ドン」って知ってる? 経験者は今や「歴史の証人」かも

おたくま経済新聞 / 2020年6月6日 9時0分

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江戸東京たてもの園に展示されている皇居の午砲

 2020年の5月下旬、Twitterで突如「昭和生まれっぽい発言をしろ」というハッシュタグが盛り上がり、様々な懐かしグッズや言葉がツイートされました。その中で話題となったのが、週休2日制が定着する前に存在した土曜日の半休、通称「半ドン」です。確かに今では死語と化したこの言葉について考えてみました。

 土曜日の「半ドン」こと半休は、午前中のみ出社もしくは登校して業務や授業があり、午後はお休みになるという制度。愛知県にある創業106年の老舗漬物店、丸越アピタ名古屋南店のTwitterでは、新型コロナウイルス感染拡大による影響で学校が閉鎖され、授業時間が足りなくなるという話題がお客さんとの話に出たところ、一緒に来ていた子供さんの発言に衝撃を受けたというツイート。こちらもほぼ同時期に「半ドン」ネタで注目されました。

 「『土曜も小学校やるの?』『どうなんだろうね、半ドン』って会話をお客さんとしてたら、一緒に来てた子が『半ドンて土曜も学校に行くやつ?』『教科書で見た。昔はそうだったんでしょ』『教科書に載ってる制度が復活するの?』『墾田永年私財法とか廃藩置県とかの歴史のやつ』って言ってた」というツイートは衝撃的です。墾田永年私財法や廃藩置県と半ドンが一緒かぁ……すでに歴史的出来事なんですね。

「土曜も小学校やるの?」
「どうなんだろうね、半ドン」
って会話をお客さんとしてたら、一緒に来てた子が

「半ドンて土曜も学校いくやつ?」
「教科書で見た。昔はそうだったんでしょ」
「教科書に載ってる制度が復活するの?」
「墾田永年私財法とか廃藩置県とかの歴史のやつ」
て言ってた pic.twitter.com/Ae2J6GoH6t

— 丸越アピタ名古屋南店(公式清純派ヨゴレアカ) (@054758373) May 27, 2020

 さて、小学生の意識では墾田永年私財法(743年)や廃藩置県(1871年)と同じく、歴史的出来事という捉え方になっているらしい土曜日の半ドン。早くは三菱電機や松下電器(現:パナソニック)など一部企業が1960年代に導入していた「週休2日制」が、1988年に改正(1997年に完全施行)された労働基準法32条に基づく法定労働時間の短縮にともない、各事業者で定着したことにより、土曜日の半休(半ドン)は原則として姿を消しました。

 学校では、1992年度から公立の小中学校や高等学校において月1回の土曜休業が始まり、2002年度からは学校教育法施行規則が改定され、完全週休2日(学校週5日制)がスタート。現在はすっかり定着しています。

 つまり今の20代以下の世代は、公立学校の週5日制や事業者の週休2日制を早い段階で経験していることから、土曜の半休をあまり経験しておらず、それによって「半ドン」なる言葉を使わなかったというわけです。……衝撃を受けた一定年齢以上の皆さん、仲間仲間。

 この「半ドン」という言葉、気になるのは「ドン」の由来ですが、自然発生して広まっただけに様々な説があります。もっとも有力視されているのが、オランダ語で休日の日曜日を意味する「zontag(ゾンターク:現代オランダ語での正確な発音はゾンダッハ)」語源説。

 暦の上で欧米から六曜制が明治時代に取り入れられ、日曜を休日としたことから、休日全般をゾンタークから転じた「どんたく」と呼ぶようになったというもの。今でも「博多どんたく」などに使われている休日の「どんたく」が、半休の土曜は「半分どんたく」……略して半ドンになったとされます。

 また別の説では、正午を告げる皇居の大砲(午砲)の音に語源を求めるものも。1日の半分である正午の「ドン」で休みになるから、という説です。

 江戸時代、江戸市中では各所に時間を知らせる「時の鐘」が置かれました。最初に時報を表す「捨て鐘」を3度ついたのち、時間を示す鐘をついていたといいます。夕方の仕事を終えるタイミングである「暮れ六つの鐘」や、それと対になる朝の「明け六つの鐘」なんていうものは、時代劇や時代小説などを通じて知られています。

 時の鐘は当初、江戸城で鳴らしていたのですが、城下の人口が増えて市中全域に音が届きにくくなったため、1626(寛永3)年に城内鐘撞役の辻源七が城下に土地を賜り、時の鐘を設置したのが日本橋近くの石町(こくちょう)。この鐘(1711年鋳造)は1930(昭和5)年、近くの十思公園に移されて現存しています。

 その後江戸市中の拡大にともない時の鐘は数を増やし、1836(天保7)年に編まれた「江戸名所図会」には、浅草や上野、市ヶ谷八幡、目白不動や赤坂、芝に本所など9か所に設置された時の鐘が記されています。現存しているのが石町(日本橋本石町)のほか、浅草の浅草寺と上野の寛永寺(現:上野公園)。浅草と上野では回数こそ減ったものの、今でも時を告げる鐘の音を聞くことができます。

 明治に入るとさらに市街地が広がり、時の鐘の増設が追いつかなくなります。そこでもっと大きな音の出るもの、として1871(明治4)年9月9日から採用されたのが大砲(空砲)。皇居(宮城)の旧本丸跡に砲台が設置され、日に何度も撃つとうるさいこともあり、正午の1回だけ「ドン!」と音を響かせたので「午砲(ごほう)」と呼ばれました。この午砲は、東京都小金井市の江戸東京たてもの園に実物が展示されています。

 正午を告げる大砲の「ドン!」は、1929(昭和4)年5月1日からサイレンに役目を譲ります。正午のサイレンは1938(昭和13)年9月まで続き、廃止されて数年経つと、今度は別のサイレン(警戒警報・空襲警報)が日本各地で鳴り響くようになったのでした。

 休みを意味する「どんたく」と、正午を告げる大砲の「ドン」。どちらも明治の初めから定着したものだけに、半ドンの語源としてはもっともらしく、しかも民衆の中から自然発生的に生まれたために、検証のしようがないのが実情。それよりも昭和世代としては、土曜の「半ドン」が歴史上の出来事とされていることが衝撃的で、自分たちが「歴史の証人」となりつつあることを実感させるのです……。

<記事化協力>
丸越アピタ名古屋南店Twitter(@054758373)

(咲村珠樹)

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