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【「おくのほそ道」で芭蕉と旅した弟子は?】①そら②うみ③あさのだれ?【オトナの歴史クイズ】

OTONA SALONE / 2019年9月12日 7時30分

「月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる「おくのほそ道」を著した江戸時代の俳人、松尾芭蕉。彼とともに東北への旅に出た弟子の名前は?

① そら

② うみ

③ あさ

10人の優秀な弟子のひとり

正解は「① そら」です。

江戸時代の俳人として知られる松尾芭蕉(まつお・ばしょう)は1644(寛永21)年に三重県上野市(現在の伊賀市)で生まれました。名前は忠右衛門宗房といい、俳号が芭蕉です。詳しい出生はわかっていませんが、俳句(俳諧)を北村季吟(きたむら・きぎん)に学ぶようになったといいます。

成長した芭蕉は1680(延宝8)年に日本橋から深川に転居しました。このころから旅への気持ちが強まり、1684(貞享元年)から、のちに「野ざらし紀行」としてまとめられるたびに出ます。これは東海道を西へ向かい、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張などを回る旅でした。

旅に生きた歌人である西行の500回忌に当たる1689(元禄2)年の3月から、芭蕉は深川を旅立ち、下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前などをめぐる旅に出ました。この一連の紀行が「おくのほそ道」としてまとめられるものであり、この度に同行した弟子が河合曾良(かわい・そら)でした。ふたりの旅の様子を描いた「奥の細道行脚之図」には芭蕉に寄り添うように歩む曾良の姿が残されています。

「おくのほそ道」には有名な句がたくさんあります。いくつかはご存じのものもあるのではないでしょうか。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」「閑(しず)さや岩にしみ入る蝉の声」「五月雨をあつめて早し最上川」「荒海や佐渡によこたふ天河」などがとくに有名な句です。芭蕉は1694(元禄7年)に新しい旅に出ますが、旅の途中で病に倒れ、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して息を引き取りました。

曾良は芭蕉の弟子のうちでも優秀な「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」の1人でした。彼が生まれた信濃国下桑原村(現・長野県諏訪市)と、亡くなった壱岐国可須村風本(現・長崎県壱岐市勝本浦)は1994(平成6)年に生誕の地と終焉の地として友好条約を結んでいます。

芭蕉が旅した土地、住んだ土地には彼をしのぶことのできる史跡などが数多く残されています。特に江東区芭蕉記念館分館の「松尾芭蕉」像は時間によって向きを変える趣向が凝らされた面白い銅像です。「五・七・五」を刻みながらぶらぶらと訪れてみるのもオススメです。

 

おくのほそ道(50句)(公益財団法人 芭蕉翁顕彰会) http://www.basho-bp.jp/?page_id=28

芭蕉記念館ホームページ https://www.kcf.or.jp/basho/

松尾芭蕉ゆかりの地(江東おでかけ情報局 – 江東区観光協会) https://koto-kanko.jp/theme/detail.php?id=TH00003

 

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