紫式部、藤原道長、清少納言の晩年とは?高く評価された女房も内裏を離れれば“一人の民”扱いで記録もされない時代だった
OTONA SALONE / 2024年12月16日 21時36分
*TOP画像/まひろ(吉高由里子) 大河ドラマ「光る君へ」 48話(12月15日放送)より(C)NHK
『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代における「貴族たちの晩年」について見ていきましょう。
<<この記事の前編:道長はまひろとまひろの物語に包まれた幸せな最期を。嵐の訪れを予期するまひろの最後のセリフに込められた大切な意味とは
紫式部の晩年は? 次ページ
紫式部の晩年
「光る君へ」のヒロインであり、紫式部をモデルとしたまひろ(吉高由里子)は、大切な人たちの足跡をたどる旅に出るなど充実した晩年が描かれていました。しかし、実際の紫式部がどのような晩年を送ったのかはっきりしたことは分かっていません。
また、本作ではまひろと道長(柄本佑)は赤い糸で最後まで結ばれていましたが、史実では紫式部と道長の関係はしだいにもつれていったといわれています。道長と娘・彰子はすれ違うことが多く、彰子のそばについていた紫式部は道長から嫌悪されるようになったそうです。
紫式部の消息が最後に綴られた記録は藤原実資の「小右記」です。実資は「藤原為時の娘が対応した」と1013年に綴っています。
紫式部は内裏を退出した後、越後の守をつとめていた父・為時のもとをたよったのではないかと一般的に考えられています。また、かつての同僚と歌を詠むなど充実した日々を過ごしていたともいわれています。
内裏を去ったあとの紫式部についての詳細は分からないことが多いためさまざまな憶測が飛び交っています。内裏を離れて一年ほどで亡くなった、後一条天皇の即位後に再び女房として仕えたと考える識者もいます。
紫式部は1010年頃に亡くなったと一般的にいわれていますが、没年についても憶測の域を出ません。紫式部の墓は紫野の雲林院の近くにあると伝わっています。
藤原道長の晩年は 次ページ
藤原道長の晩年
権勢は天皇をも凌いだといわれ、満月のように欠けたところはなく、自分が思い描いたとおりの人生を運を味方につけて歩んだという印象を受ける道長。しかし、晩年は健康状態が好ましくなく、思い煩うことが多かったと察せる日々でした。
道長は飲水病(糖尿病)を患い、背中の腫れ物の痛み、失明、喉の渇きなどに苦しめられていました。彼が痛さのあまり声をあげていたという話もあります。
当時は現代と比べて栄養状態もよくなく、ほとんどの人は糖分を過剰に摂取できるほどの余裕はありませんでした。しかし、道長をはじめとする上流貴族は過分な栄養を摂れるほど富んでいたのです。道長は糖分が多く、度数が低い酒を頻繁に飲み、菓子類も食べていたため、糖尿病を患ったと考えられています。なお、道長自身は自らの不調を怨霊のたたりだと考えていたそうです。
道長は60代まで生きており、当時としては長寿。我が子に先立たれるというつらい経験もしています。
1027年、道長は屋敷の隣に建設した法成寺の阿弥陀堂の中でこの世を去りました。当時の例にならって鳥辺野に葬送され、遺骨は木幡に埋葬されました。
清少納言の晩年は 次ページ
清少納言の晩年
清少納言は定子に仕え、伊周など上流貴族たちからも慕われていました。また、社交的で、賢く、漢文にも長けていたため、定子サロンでは中心的な存在でした。
しかし、清少納言の華やかな内裏での日々は永遠には続きません。定子が亡くなってからは内裏に居場所を失い、宮を離れます。現代であれば、お仕えしている主人が亡くなれば、別の人に仕えることになりますが、当時は主人が亡くなれば、そこに居場所がなくなることがほとんどでした。
清少納言が内裏を離れたあとについては、摂津国の長官・藤原棟世と再婚した、父・元輔が昔住んでいた家のそばに住んだなどといわれています。
和泉式部とは交流が内裏を離れてからも続いていたそうです。清少納言が和泉式部に海苔を贈ったこともあったそう。お互いの老化を詠み合うなど知的な交流をしていたともいわれています。
晩年、清少納言が尼姿になったという説は有力であるものの確かな証拠はありません。また、落ちぶれて漂泊したという話もありますが、事実とはみなしにくいでしょう。
民より恵まれた立場にあった道長も… 次ページ
華やかな日々には終わりがあるのが人生
紫式部や清少納言は死後1000年以上経ってもその名を国内外で語り継がれるほどの偉業を成し遂げました。しかし、彼女たちの本名や没年、内裏を離れたあとの暮らしについて詳しいことは分かっていません。当時において女性はそれだけかろんじられており、一個人としての社会的な地位がなかったためです。当時における女性の立場は赤添衛門、和泉式部についても内裏を離れた後のことについて詳しく分かっていないことにもうかがえます。
また、宮中で華やかな暮らしを営んだ女房のその後について落ちぶれたと考える識者もいますが、人の栄華は永久には続かないという古くからの見方が根底にあるように思います。
道長のような権力のトップに君臨した成功者についても、彼の生涯を細かく見ていくと幸せであったのか疑問を抱かざるをえません。晩年は病に伏せ、背中の痛みや視力の低下などに悩まされていました。さらに、彼は何人もの我が子に先立たれています。民よりも恵まれた立場にあった道長ですが、彼も悩みや苦痛とは無縁ではありませんでした。
▶▶道長はまひろとまひろの物語に包まれた幸せな最期を。嵐の訪れを予期するまひろの最後のセリフに込められた大切な意味とは
参考資料
昭文社 出版 編集部 (編集)、竹内正彦 (監修)『図解でスッと頭に入る 紫式部と源氏物語』昭文社 2023年
≪アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗さんの他の記事をチェック!≫
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