【スピリチュアル・ビートルズ】エルトン・ジョンとジョン・レノン 変わった「鳩時計」をプレゼントするほどの仲だった?

OVO [オーヴォ] / 2021年2月20日 12時0分

『エルトン・ジョン&ジョン・レノン―ライヴ!』(廃盤)

 エルトン・ジョンが初めてジョン・レノンと会ったのは、ジョンがオノ・ヨーコと別居してロサンゼルスでいわゆる“失われた週末”を送っている1973年だった。二人は、アップル・レコードの米国担当部長だったトニー・キングを通じて知り合ったという。

 エルトンが、ハリウッドにあったキャピトル・レコードの中にあるトニーの新しいオフィスを訪ねると、何と英女王エリザベス2世の女装をしたトニーがジョンと踊っていたのだ。エルトンは自伝(『Me エルトン・ジョン自伝』ヤマハミュージックエンタテインメント発行)で振り返って言う。

 「彼(ジョン)のことはすぐに気に入った。元ビートルズで、したがって僕のアイドルの一人だという理由だけではない。あろうことか、女王の扮装(ふんそう)をした男とくるくる踊って自分のニュー・アルバム(『マインド・ゲームス』)を宣伝するのがいいアイデアだと考えている元ビートルズだったからだ」。

 直観的に親しくなれると思ったエルトン。そして話をしてみると、まるで生まれた時からジョンを知っているような気がしたという。それから、エルトンがアメリカにいる時はいつも二人で長い時間を過ごすようになった。その頃はジョンが酒浸りの生活を送っていた時期だ。

 エルトンが聞いたジョンの「武勇伝」のひとつが、フィル・スペクターと組んでやっていた「ロックン・ロール」のセッションが収拾不能になったことに怒り狂ったジョンが、レコード・プロデューサーのルー・アドラーの家をめちゃくちゃに壊したことだ。

 エルトンもジョンと一緒に大量のドラッグをやって外出し、狂乱の夜を何度も過ごした。ある晩は、ドクター・ジョンがショーをするというのでライブハウス「トルバドール」にエルトンとジョンは出かけた。ドクター・ジョンは「ステージに上がってジャムろうぜ」とジョンを誘った。泥酔していたジョンはステージに上がったものの、最後には両ひじでオルガンを弾いていたという。ジョンをステージから降ろすのはエルトンの役目だった。

 また、ジョンの前妻シンシアと息子ジュリアンが英国からニューヨークにジョンに会いに行く際に、彼らの船旅に同行してくれないかとエルトンとトニー・キングがジョンに頼まれたこともあったという。蒸気船フランス号での旅に、エルトンらは同行した。

 ジョンのアルバム『心の壁、愛の橋( Walls and bridges )』にエルトンが参加するようになるきっかけは、ジョンの一本の電話だったという。エルトンがニューヨークの55番街の名門ホテル「ピエール」に滞在しているとき、上の階のスイートに泊まっていたジョンから内線電話がかかってきた。そして2曲――「予期せぬ出来事(Surprise、surprise)」と「真夜中を突っ走れ(Whatever gets you thru the night)」で演奏してほしいと言い出したという。

 ここからは有名な話だ。エルトンが、「真夜中を突っ走れ」はナンバーワン・ヒットになると思ったが、ジョンは懐疑的だった。ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンやリンゴ・スターのシングルは何枚も1位になったけれど「俺のは一度も1位になってない」と。

 そこでエルトンは賭けをしようと持ち掛けた。―――もしこの曲がナンバーワンになったら、自分(エルトン)のコンサートで共演することにしよう、と。エルトンは「ただ、ジョンがライブで演奏する姿を見たかったのだ」という。

 そして '74年11月28日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのエルトンのコンサートで二人は共演することになった。

 ジョンは「ヨーコが絶対に来ないようにしてくれ」という条件をつけたのだとエルトンはいう。彼女の前では緊張しすぎると思ったからかもしれない。二人はまだ別居中だった。

 だが、ヨーコは現れた。ショーの前に彼女はジョンにクチナシの花を一輪贈り、ジョンはステージにいる間、それをボタンホールに挿していた。ジョンは久しぶりのステージを前に極度の緊張に襲われてしまい、吐いてしまったという。

 エルトンの紹介でジョンがステージに上がると大歓声が沸き起こった。ジョンは「真夜中を突っ走れ」、ジョンのビートルズ時代の作品でエルトンがカバーした「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」と、ポールが書いたビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」の3曲を披露したのだ。

 3曲目を演奏する前にジョンはジョークを飛ばした。「これから歌うのは、ぼくが昔に捨てられた婚約者ポールのナンバーです」と。一旦は楽屋に引っ込んだが、アンコールで再びステージに戻ってきたジョンは、「あばずれさんのお帰り(The bitch is back)」でエルトンの親友で作詞家のバーニー・トーピンと二人でタンバリンを叩いた。

 ショーの後でヨーコはバックステージを訪ねてきた。電話ではしばしば話をしていたジョンとヨーコだったが、実際に顔を合わせるのは一年ぶりのことだった。結果的にこの再会が、二人がヨリを戻すきっかけになったのである。

 エルトンは、ジョンとヨーコが暮らすダコタ・アパートにも遊びに行っていた。ある時など、ジョンへのプレゼントとして「正時になると鳩の代わりに木製の大きなペニスが飛び出す鳩時計」を贈ったのだという。エルトンは「あらゆるものを持っている男にふさわしいプレゼント」だと思った。ジョンがユーモアを解することも計算に入れていた。


 ダコタには値段もつけられないような貴重な美術品や骨董(こっとう)品があふれていた。エルトンは彼らの曲「イマジン」を替え歌にして皮肉ったカードを送ったこともある。「想像してごらん、6つのアパートメントを/難しいことじゃない/一つは毛皮のコートであふれてる/一つは靴であふれてる」という文句だったという。

 エルトンはジョンの死をメルボルン空港で知った。エルトンは耳を疑うと同時に、凶弾をあびるという残虐な殺され方をしたことを「受け入れがたかった」。

 エルトンは盟友バーニー・トーピンの作詞によるジョン追悼の曲「エンプティ・ガーデン(ヘイ・ヘイ・ジョニー)」を'82年に発表した。その頃、エルトンはヨーコから電話をもらった。ヨーコはジョンが遺した未完成の曲のテープを完成させてほしいと頼んだという。エルトンは「まだその時期ではない」と思った。結局、その一連の曲はそのままの形でアルバム『ミルク・アンド・ハニー』('84)で世に出たのだった。

文・桑原亘之介

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