【追悼企画】竹林隆光さん、クラブ作りの原点1

ParOn.(パーオン) / 2013年12月29日 9時0分

数値を用いてクラブを解説する竹林隆光さんの連載は人気を博した

 株式会社フォーティーン創業者の竹林隆光(たけばやし・たかみつ)さんが12月27日、心不全のため亡くなった(享年64歳)。

 クラブデザイナーとして一世を風靡(ふうび)し、数々のヒット商品を送り出した竹林さん。そのクラブ作りの原点はどこにあったのだろうか。週刊パーゴルフ2006年1月10・17日号では、レーシングカーデザイナーの由良拓也さんと対談を行った。当時の記事から、竹林流クラブデザインをひもといてみたい。
――それぞれのお仕事を始められたきっかけを教えてください。

竹林さん 私はゴルフを始めたのが17歳と遅かったのです。早く競技に出場したかったのですが、周りの連中のほうがうまくて、なかなか出場する機会がなかった。それで道具に詳しくなれば早く上達できるんじゃないかと、父がメンバーだったゴルフ場に毎日通って、プロ室でクラブをいじっていました。

 最初は打ちやすいクラブを作ろうとチューンアップしていました。そのうちに、どんなクラブを打ってもワンセットの中で何本か気に入らないものがある。それだったらすべてのクラブを自分で設計したいな、と思い始めたのが20歳のころでした。最初はゴルフをやりたかったのですが、途中からクラブを作りたくなりました。

――競技者としては、27歳のときに日本オープンのベストアマになられています。

竹林さん あのときは、14本で7ブランドのクラブがバッグに入っていました(笑)。セットで買って、そのうち2本が使えるというように選んでいって、生き残ったのが7ブランドで14本だったのです(笑)。セットでそろえる人が多いのに珍しい? 形がどうこうではなく、「これはヘッドの先が重い」とか、「後ろのほうが重い」というのを感じていました。その感じを合わせるためにクラブをいじっていたわけです。

 そういったヘッドの重さの違いを、すべてのゴルファーが感じているのかと思ったら、実はそうではなかった。ほとんどの人が感じていないことが分かったので、だったら自分の感じで数値化しようと思いました。プロゴルファーは「球離れが早い」とか「遅い」といいますが、そういう感覚的なものを数値化するという作業を、その後もずっと続けてきたのです。(続く)

※週刊パーゴルフ2006年1月10・17日号より抜粋・加筆

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