具志堅用高氏 上京時、名前読んでもらえず部屋賃貸できず

NEWSポストセブン / 2012年4月12日 7時0分

 4月を東京で、まさにページをめくるような心持ちで迎える人は今も昔も多い。「上京」という言葉には、期待と不安、志や覚悟、惜別・郷愁といった様々な感情が濃密に内包されている。物語は人の数だけある。元ボクシング世界チャンピオン・具志堅用高氏(56)の場合。

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 沖縄が返還されたのは今から40年前、昭和47年5月15日です。私が上京したのはその翌々年、高校卒業と同時にプロとしてスタートするために東京に向かいました。乗った飛行機は忘れもしません、全日空のトライスター。ロッキード事件でその名前を知りました。
 
 じつは前の年に全国高校選手権に出場するために船で東京に行きました。でも、船だと東京まで48時間。3時間で着くのですから、飛行機にはたまげました(笑い)。
 
 沖縄返還で嬉しかったのは、何といってもパスポートが必要なくなったことですね。本土に行くためにはパスポートを取らなければならなかった先輩たちを思うと、私たちの世代以降の人間は幸せですよ。
 
 でも、東京での生活は辛かったです。高校時代から、本土に試合に行くと「歳をごまかしているんだろ」なんて酷いことをいわれていました。色が黒くて、ゴツイ顔しているから老けて見えるんでしょうね。本土の人にとって、沖縄の人間は外国人だったんです。
 
 上京してすぐにアパートを借りようとしたんですが、「あなたの名前、何て読むの?」「出身は?」と聞かれて答えると、それでもう会話が止まって……もちろん部屋なんて貸してくれません。沖縄の先輩の部屋に泊めてもらって、その後はバイトのとんかつ屋に住み込みました。
 
 言葉も苦労しました。相手の話はわかるのですが、本土の言葉にして話そうと考えているうちに、結局何も喋れません。とにかく「頑張ります」っていうばかりで、友だちなんて作ろうと思わなかったし、作れませんでしたね。東京の女性は白くて綺麗でしたよ。でも、好かれませんでした。怖そうな顔をしていたから仕方ないです(笑い)。
 
 寒さも厳しかった。ロードワークしても汗ひとつかかない。3月だったけど初めて雪にも触りました。
 
 救いは食べ物が美味かったこと。とくにご飯はハンパじゃない美味さで、焼き魚1匹でどんぶり2杯はいけました。初体験だったのがしゃぶしゃぶ。「変な形の鍋だなあ」と思いながら、食べ方がわからなくて皆が箸をつけるまでジッと待っていました。
 
 テレビも楽しみでした。プロレスはジャイアント馬場とブッチャー、キックボクシングは沢村忠が全盛だった。沖縄出身の南沙織が人気絶頂で、演歌といえば五木ひろしでした。
 
 あとはディスコ。沖縄の先輩に連れられて、新宿や六本木で踊っていました。話をしなくていいから楽しかったなあ。
 
 上京してから世界チャンピオンになるまでの2年間は本当にきつかった。それでも今振り返ると私の苦労なんて、パスポート時代の先輩たちを考えれば大したことありません。
 
 私は世界チャンピオンになったことで、那覇の国際通りをパレードしたり、石垣島に戻った時に島中の人に出迎えてもらいました。我慢していればいつか必ず楽になるし、喜びは待っているものなんですね。

※週刊ポスト2012年4月20日号



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