大林宣彦氏「世界の爆弾が花火になれば戦争なくなる」の思い

NEWSポストセブン / 2012年4月22日 7時0分

 映画監督・大林宣彦さんの最新作『この空の花』が5月12日に公開となる。2009年に監督が新潟・長岡の花火を初めて見てから、東日本大震災を経て、今年完成したその作品には、長岡での戦争の歴史、花火への人々の思いと亡き人々への祈り、そして、未来を生きる子供たちへの希望が描かれている。

 カリスマ映画監督である彼が、それまでの撮影スタイルを脱ぎ捨て、デジタルカメラ5台、編集はパソコン1台のみを使い、自主映画としてでもつくりたかったこの作品。彼がどうしても伝えたかったこととは…。

 2009年8月3日。大林宣彦監督は友人の誘いで妻でプロデューサーの恭子さんとともに長岡市を訪れた。花火を見るためだ。長岡の花火はすごいと噂には聞いていたが、大がかりなイベントごとが嫌いな彼は、あまり興味を持てないでいた。

 しかし、その花火は彼に涙を流させ、それを機に、彼はそれまで知ることのなかった戦争の歴史や新潟県中越地震(2004年10月)を乗り越えた人々の思いと出会い、「この驚きを、映画にせねば」と強く心に決めた。

 大林さんは、父方も母方も代々続く医者の家系の長男として広島・尾道市に生まれた。尾道三部作『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』はあまりにも有名。『この空の花』は、商業映画にはなりづらい内容と160分という長編のため、長岡市民とともに自主映画として製作を決意。「古里映画」の第一人者である監督の集大成的映画となった。大林さんはいう。

「長岡では、信濃川に日が落ちて空が群青色に染まっていくんです。黄昏から夜へとこんなに美しく空が変化していく様子をぼくはこのとき久々に見ました。ここには、かつての日本にあった美しい空がある。そんなことを思いながら、ふわっと空に花が咲いて揺れる花火を見ていたら、いつの間にか、ぼくの目から涙がこぼれてきたんです。隣を見たら恭子さんも泣いていて、『なんだか映画を見ているみたいね』という。

 人は目に見える情報では泣かないもので、映画でも、見えないはずの人の心が見えたときに涙が出るんです。この花火も人の心が映っているんだな、と思って、隣にいた長岡市長の森民夫さんに、『この花火には心がありますか?』と聞くと、『大林さんにも、見えましたか。実はあるんです』といって、花火の歴史を聞かせてくれたんです」(大林さん)

 1945年8月1日。長岡市は米軍の空襲を受け町は壊滅した。その復興を願い、終戦の翌々年から毎年、米軍の攻撃が始まったのと同じ日の同じ時刻、8月1日の22時30分に花火を上げている。

「戦争体験者のなかには、音が爆弾と似ている花火を、いまだに見られない人もいるのです。それでも、花火を上げる理由は、『戦争をしっかり記憶し、戦争を知らない世代にきちんと伝えていかなければ、戦争はなくならないと信じているから』。

 そう、市長は教えてくれました。実は、長岡は太平洋戦争以前、戊辰戦争でも甚大な被害を受けており、戦後の長岡は、庶民たちによってつくられてきたのですが、長岡の花火には、未来を築く子供たちを元気づけるという、その精神が受け継がれていたのです。

 2007年7月16日。マグニチュード6.8、震度6強の地震が長岡市を襲いました。新潟県中越沖地震です。道路も寸断され、村も壊滅。そんな、復興のために1円だって多く欲しいときにも、『子供たちの未来のために』と、長岡の人々は、フェニックス(不死鳥)という大きな花火を上げ続けてきたんです。長岡の復興の歴史は花火の歴史。この花火は、単なる観光用のイベントじゃなかったのです。ぼくは長岡の花火を見たときに、どこかで見たことがあると思ったのですが、あの山下清画伯の代表作でもある貼り絵『長岡の花火』を見ていたのを思い出しました。

『世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる』

 この山下清さんの言葉に出会ったとき、この長岡の花火の話を映画にしなければ、と思いました」(大林さん)

※女性セブン2012年5月3日号



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