坪内祐三氏が雑誌『GORO』を回顧 「連載が充実していた」

NEWSポストセブン / 2012年5月3日 16時0分

 18年間続いた男性向け雑誌『GORO』に対する思い出は、読者の年代によってさまざまだろう。この人の場合は、高校・大学生だった1970年代後半が「『GORO』の時代」だった。自他共に認める“雑誌小僧”であり、『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』の著書もある評論家の坪内祐三氏が懐かしの『GORO』を回顧する。

 * * *
『GORO』が創刊されたのは昭和四十九(一九七四)年六月、ちょうど私が高校に入学したばかりの頃だ。

 まさにジャストミートな年齢だ。

 しかしその手の雑誌に奥手だった私はようやく『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』を買い始めたばかりで、創刊年にリアルタイムで『GORO』を買った記憶はない(のちに古本屋で四~五冊買った)。

 だから私が『GORO』を買うようになったのは翌一九七五年のことだ。特に表紙が篠山紀信になり、それに連動して「激写」が始まってからは毎号のように買った。

 そう、『GORO』と言えば、激写だった。いわゆるヌードグラビアと違って、もっと自然体で、時にはスターも登場する(しかしその多くはセミヌードだった)激写は私たち高校生に大人気だった(私が今でもよく憶えているのは、高校二年の時の同級生のT君が南沙織の大ファンで、南沙織が表紙の号つまり「激写」されている号を見て、脱いでいたらどうしよう、と買うのを付き合わされて一緒に頁を開き、脱いでいないのを確認し、ほっとした彼の表情だ)。

 紀信激写のツートップは山口百恵とアグネス・ラムでどちらも十回以上登場したのではないか。

 それに続くのが水沢アキだが、激写のもう一つ大きな流れに“美少女シリーズ”がある。つまり“普通の女のコ”たちが登場するシリーズだ。村山くみ子、秋山ゆかりなどという名前がすぐに出てくる。

 しかし実は『GORO』の最大の魅力は(少なくとも私にとって)、読み物頁にあった。まず連載が充実していた。

 例えば創刊号から連載されていた山口瞳の「礼儀作法」(および「続・礼儀作法」)。この連載は祥伝社のNON BOOKから刊行され、集英社文庫に入り、それから二十年以上のち平成十二(二〇〇〇)年、新潮文庫に収録され、遅れてきたベストセラーとして話題になった(十代の時に激写目当てで『GORO』を買っていた人たちがこの連載も読み――つまり頭のどこかにすりこまれ――四十代になって改めて読み通したいと思ったのかもしれない)。

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