年寄りの役割 自然に穏やかに死んでいく姿見せることと医師

NEWSポストセブン / 2012年5月9日 16時0分

「大往生したければ医療と深く関わるな」「がんで死ぬのがもっともよい」。そんな主張をする医師が京都にいる。京都の社会福祉法人老人ホーム「同和園」の常勤医を務める中村仁一氏だ。これまで数百例の自然死のお年寄りを見送ってきた中村氏から、老人医療の問題点、これからの日本人か持つべき死生観について聞いた。(聞き書き=ノンフィクション・ライター神田憲行)

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 私は自分が意識不明になったり判断力が鈍くなったときのために、胃瘻(いろう)などの延命措置を一切拒否する事前指示書を作成してあります。これは家族が決断を下さなくてはならなくなったときに、いく分でも精神的負担を減らしたいためです。いわば“思いやり”プレゼントです。

 しかし日本では法的効力はありませんし、何が何でも思い通りにしたいと思っているわけではありません。もともと死は「苦」(ドゥフカ=サンスクリット語)で思い通りになるものではないと思っているからです。

 「救急車は呼ばない、乗らない、入院しない」が私のモットーですが、もし町なかで昏倒すれば、救急車に乗せられて集中治療室に収容されてしまう。それはそれで仕方ありません。すべて、そのときの「縁」「巡り合わせ」ですから。

 ただ、可能なら長く生きた知恵を活かして上手に不自由さとつき合ったり、自然に穏やかに死んでいく姿を見せたいものとは考えています。

 これは「老いる姿」「死にゆく姿(最高の“遺産”)」を次世代に伝えることが年寄りに課せられた最後の大事な役割と思うからです。これまで私は自分の死生観を他人に押しつけたことはありません。ときになかなか死ぬことを考えたがらない親に考えて貰うにはどうしたらいいか、相談されることがあります。そのときには自分は変わることができても、他人を変えることはムリと答えています。

 たとえば、水を呑みたがらない馬にムリに呑ませようとして川べりに引っ張っていって、たとえ顔を水の中に押し込んだとしても、その気のない馬は決して水を呑みません。それと同じというわけです。

 しかしだから、そのまま成り行き任せというわけにもいきません。やれることはやりましょう。それには二つあります。

 一つは「余命6ヵ月といわれたら」エクササイズです。もし今、親が余命6ヵ月と告げられたら、何をしてやりたいかを列挙して優先順位をつけ、実行することです。そして、これを毎年続けることです。あるいは「お通夜」エクササイズ、「こんなことだったら」エクササイズです。

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