1986年オフの落合中日入りの背景に稲尾氏の監督契約延長拒否

NEWSポストセブン / 2012年7月7日 16時2分

 西武ライオンズの全選手が、1日の日本ハム戦に引き続き、4日のソフトバンク戦でも、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた故・稲尾和久氏(享年70)の永久欠番「背番号24」をつけて試合を行なった。

 九州で生まれ育ち、プロでは福岡の平和台球場を本拠地とした西鉄の顔であった稲尾氏だが、1984~1986年には、川崎球場を本拠地としていたロッテオリオンズの指揮も執っている。

 当時、ロッテには川崎から福岡への移転計画があり、そこで福岡と縁の深い稲尾氏を招聘したわけだが、稲尾氏の監督就任以降、ロッテはパ・リーグで2位、2位、4位という成績を残している。稲尾氏はその後も新たに3年間の契約延長を打診された。

 だが、稲尾氏はそれを断わった。自著『神様、仏様、稲尾様 私の履歴書』(日本経済新聞社刊)では、当時のことをこう振り返っている。
 
〈三年の契約が終了し、球団は「あと三年」と言ってきた。それは有難いが、こちらははっきりさせておかなければいけないことがあった。昭和六十年にも、といっていた球団移転はどうなってしまったのか。「私は九州移転の用意があるということで、ここに来させていただきました。もう少し待ってもいいですが、今度は何年先に移るという覚書を下さい」(中略)球団からは明確な返事はなかった。本社筋の合意ができていないらしい。「それではやめさせていただきます」。これがコトの顛末だった〉

 当時のロッテには、三冠王を3度獲得したスター・落合博満選手が在籍していた。しかし、1986年のシーズン後、落合選手は中日へ移籍した。元々稲尾氏を慕っていた落合氏であるから、稲尾氏の監督退任が移籍を決意するきっかけとなったのは想像に難くない。もし、稲尾氏がロッテの監督を続けていれば、落合選手の中日入りは実現しなかったかもしれない。

 稲尾氏のロッテ監督退任は、のちのプロ野球の歴史を大きく変える出来事だったといえよう。



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