菅原文太氏 農繁期でなければ官邸前脱原発デモ行きたかった

NEWSポストセブン / 2012年7月21日 16時0分

 自身、被災地である宮城県出身で、震災後は積極的に支援活動を行なってきた俳優・菅原文太氏(78)。テレビ、ラジオに出演する傍ら、3年前から山梨県で農業を営む菅原氏が、原発再稼働と脱原発デモについて語る。

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 もう、日本から消滅したかと思っていたが、まだ、「希望」は残っていたんだねえ。本当に久しぶりだよ、国会前にデモ隊が集まる光景を見たのは。老いも若きも、皆が立ち上がった。経産省の前をタクシーで通りかかると、反原発のテント村があったが、こんな光景は久しぶりだ。

 この40年くらい、日本人は芸能人のコンサートやマラソンや野外のフリーマーケットには集まっても、デモには集まらなかった。デモの主催者の発表と警察発表で参加人数があまりにも違うが、これはいつものことだ。昨年、中東や北アフリカで巻き起こった民主化運動「アラブの春」に比べれば、スケールはまだ小さいけれど、市民が自らの意志で立ち上がったという点では同じだよね。

 日本に絶えて久しかった、こうした熱気が復活したのは、「原発事故」や「原発再稼働のやり方がおかしい」という気持ちが人々を動かしたからだろう。国会前に集まった市民の姿は爽やかで、オレも農繁期で忙しいので行けなかったが、デモに出かけたかったくらいだ。有名人が集まって抗議声明を出すような会には誘われるが、それより、こういう普通の人々が静かに集まるデモが、底からの願いや意志が強く伝わってくる。

 とはいえ、オレもこの福島原発の大事故が起きるまでは、原発というものをまったく気にせずに生きていたから、そんなにエラそうなことは言えない。

 昔、福井県の敦賀でロケがあったときに、町並みがピカピカで、道路の舗装にも模様付きのタイルが使われていて驚いたことがあった。奇異に感じて、薬局で尋ねたら「原発のカネが入ったから」という答えが返ってきた。今思えば、この体験をきっかけに勉強を始めればよかったと残念でならない。

 福島県浪江町には、かつて、生涯にわたって節を曲げなかった苅宿仲衛(かりやど・なかえ、1854~1907)という自由民権家がいて、そのひ孫の大和田秀文さんは50年間にわたって反原発運動に取り組んできた。こういう人々の声に耳を傾け、もっと早くから国民的レベルで反原発運動を盛り上げ、原発を止めていれば、あんな事故は起きなかった。

※SAPIO2012年8月1・8日号



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