難病の51才日本人女性が安楽死を選択するまで、彼女の言葉

NEWSポストセブン / 2019年6月13日 11時0分

 しかし、小島さんに迷いがなかったわけではない。スイス滞在中、宮下氏は小島さんから、次のような本音を聞いている。

「さっき(プライシック)先生が、核心をつくことを言っていました。『あなたはまだ早いんじゃないのか』と。もし安楽死が日本で可能であれば、たとえば、私がしゃべれなくなり、全身が動かなくなり、寝たきりで天井だけ見るようになった時には、ちょっと頼むと言えます。でも、現状、日本ではそれができない。自分ができるうちという見極めが難しいんですね。今が死ぬタイミングだろうか、と思うことはある。たぶん、死を選ぶにはちょっと早いと思うんです」

 だからこそ、自らのことを「悪い例」と語っていた。

「お金がかかる、時間がかかる、そして自分の死期を早めている。悪い点だらけです。スイスに行けば安楽死ができるから万歳と、そこまで単純ではない」

 彼女は最期まで冷静だった。少なくとも、一時的な感情の揺れでスイスに渡ったのではなかった。だからこそ、改めて問いたくなる。本当に安楽死という道しか、彼女に残されていなかったのだろうか。何が彼女をそうさせたのか。宮下氏が答える。

「それが彼女の生き方だったとしか答えられない。彼女はとても自立心が強い女性なんです。高校卒業後、郷里の新潟を離れ、民主化の只中にある韓国のソウル大学に単身留学し、韓国語を身につけ、東京で身を立ててきた。

 ブログを読んでいると、彼女の思考がよくわかる。闘病の現実を題材にしつつも、それを悲観的にではなく、彼女なりのユーモアをもって描いていた。時には、生きることへの希望を見つけようともしていたんです。

 3年間、病床で生と死に正面から向かい合った。結果、彼女は安楽死を選んだ。その選択自体は、私は尊重したいと思います」

※女性セブン2019年6月27日号

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング