義足のスプリンター・中西麻耶 鍛え抜かれたセミヌード公開

NEWSポストセブン / 2012年9月1日 7時0分

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パラリンピック出場の中西麻耶セミヌード

「ヌードになったことに後悔はない。むしろ『中西麻耶』と向き合える機会になってよかった。自分を信じて、結果を出したい」――今年3月に活動資金を捻出するべく、鍛え抜かれた体と美しい素顔を披露、セミヌードカレンダーとして発売した中西麻耶(27)。彼女が今、心から願うことは「ロンドンで最高の自分を出す」ということ。

 8月29日に始まったロンドン・パラリンピックで、片足義足の陸上選手として、9月1日の100メートル予選を皮切りに200メートルと走り幅跳びに出場する。

 初出場の2008年北京大会では競技歴わずか1年で、100メートル6位、200メートル4位に入賞。周囲は祝福の声を送ったが、中西の思いは違っていた。「悔しい。恥ずかしくて日本に帰れない」。

 幼い頃から運動センス抜群で、中学から始めたソフトテニスで頭角を現わし、高校総体や国体にも出場。2004年の高校卒業後も2008年の大分国体を目指して競技を続け、「肉体労働ならトレーニングになる」と塗装工となった。

 ところが2006年9月、悲劇が襲う。現場で作業中、重さ5トンの鉄骨が崩れ、彼女の右脚を押しつぶしたのだ。目標だった大分国体の県代表を決める重要な大会の2日前のことだった。

「切断か、接合して様子をみるか」という救急病院の医師の診断に対し、「先生、脚、切ってください」。両親は猛反対したが、中西に迷いはなかった。「切って義足にしたほうが早く復帰できる」、そう思ったからだ。

 必死のリハビリにより、半年ほどでプレーができるまでになった。だが、義足でのプレーは輝いていた頃の自分とはほど遠い。「障害者なんだから、頑張らなくていい」という周囲の言葉にも傷ついた。

 脚を失い、生きがいを失い、自分自身さえも失ってしまいそうだった中西。彼女を救ったのが、「そのままの麻耶ちゃんでいいんだよ」という言葉。中西の義足を手がけることになる義肢装具士・臼井二美男氏のひと言だった。

「そうだ。義足になっても、『中西麻耶』という人間は変わっていない」

 臼井の勧めで陸上競技を始めると、「風を切って走るのって、気持ちいい」と、本来の明るさと前向きさが戻った。一度、目標を定めると無我夢中に突っ走るのは真骨頂。わずか半年で100メートルと200メートルの日本記録を更新した。

 世界の壁を感じた北京大会後は、アメリカのオリンピック・トレーニングセンターの門を叩き、選抜試験を経て、五輪選手らと肩を並べての練習を続けてきた。今年もほとんどの時間をアメリカでの練習や国際大会への遠征で費やした。

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