ミッチーが総理になっていたら失われた20年はなかったか

NEWSポストセブン / 2019年7月18日 7時0分

渡辺美智雄氏も多くの票を集めた(時事通信フォト)

 歴史に「if」はないといわれる。だが、過去の政治の転換点で、「もしもこの政治家が総理になっていたら、“国のかたち”は違っていたかもしれない」と期待された人物は少なくない。

 日本政治の分水嶺はどこにあったのか──参院選(7月21日投開票)を前に検証することには重要な意味がある。本誌・週刊ポストのアンケートで政治家OB、政治記者、評論家ら30人が「総理になってほしかった政治家」を選んだ(別掲表)。

 その結果、最多得票でランキング首位になったのは、安倍晋三首相の父・晋太郎氏だった。

 安倍晋太郎・元外相は中曽根政権後の総裁選び(1987年)で竹下登氏、宮沢喜一氏と総理・総裁の座を争い、自民党幹事長として「次の総理」の座を目前にしながら病に倒れ、帰らぬ人となった。

 その晋太郎氏のライバルだった竹下登首相がリクルート事件で総辞職(1989年)すると、自民党に激震が走った。このとき、党内から総理待望論があがったのが伊東正義氏(8位)だった。

「人物見識ともに立派な人で、彼が総理になっていれば、政治がここまで国民の信頼を失うようなことはなかったでしょう」(政治評論家・森田実氏)

 しかし、伊東氏は、「本の表紙を変えても、中身が変わらなくては駄目だ」と総理就任を固辞した。

 この事件ではもう1人、将来を嘱望されていた総理候補が消えた。藤波孝生氏(5位)だ。政治ジャーナリストの田中良紹氏は日本社会の転換点だったと指摘する。

「当時は“竹下の次は安倍晋太郎、その次は藤波”というのが既定路線。その頃自民党の主流派はヨーロッパ型の社会福祉国家を目指していました。ところがリクルート事件で当時の主流派がごっそり失脚し、その後は結果的に小泉らのアメリカ型の競争社会を作る方向に向かった。藤波さんが失脚したのは惜しまれます」

 次に日本の政治が大きな岐路を迎えたのは、政治改革(小選挙区制の導入)をめぐる党内対立で海部内閣が退陣した後の総裁選(1991年)だった。折しも、日本経済はバブル崩壊で急速に悪化していた。松田喬和・毎日新聞特別顧問が語る。

「私が思い出すのは渡辺美智雄氏(4位)です。田中角栄と同じように、庶民派ながら構造改革を伴う大胆な政策提言を行ない、それを国民に分かりやすい言葉で伝えることができる稀有な政治家でした。当時強力な力を持っていた医師会、農協など利権団体にも真っ向からぶつかっていた」

 渡辺氏は学徒出陣から復員後、行商で身を立てた苦労人で“ミッチー”の愛称で親しまれたが、総裁選で宮沢氏に敗れた。山口敏夫・元労相は、「ミッチーならバブル崩壊の被害は小さかった」と見る。

「経済政策では自民党内でずば抜けた見識があった。日銀が極端な金融引き締めでバブルをはじけさせたのを海部(俊樹・元首相)も宮沢も野放しにしていたが、ソフトランディングを唱えていたミッチーが総理になっていれば、極端な金融引き締めを止めさせ、“失われた20年”は起きなかったと思う」

 宮沢政権下で自民党は大分裂し、1993年の総選挙に敗北して細川政権が誕生する。

※週刊ポスト2019年7月19・26日号

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