日本映画全盛期 役者は7~8本掛け持ちして何の作品か知らず

NEWSポストセブン / 2012年9月6日 16時0分

 日本映画は1955年ころが絶頂期で、東映は年間130本つくり、全国には7457のスクリーンがあった。〈5万回斬られた男〉と尊称されている福本清三氏(69)は時代劇の余人なき証言者である。作家の山藤章一郎氏がリポートする。

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「『どアホ、行けえ。突っ込めえ。なんでもええから行けぇ』。監督さんの絶叫です。主人を駕籠にかついで、私、走りますのや。重たいんですわ。しょうもない。全速力で細道走っても、間に合わん。『こらっ、田んぼに飛びこめ、田んぼ走れ』泥の中です。走れん。『急がんかい』無茶いいますわ。『行けんのを行くんが映画じゃ』。工藤栄一いう監督さんでね」

〈5万回斬られた男〉と尊称されている福本清三氏(69)は時代劇の余人なき証言者である。15歳で東映京都撮影所の大部屋俳優となり、斬られ役以外に、物乞い、死体、なんでもやった。

「殺陣のうまい先輩が斬られる。池に落ちる。先輩はまだまだ剣戟シーンで動きまわらないかん。そんなとき出番ですわ。『フク、行けっ』はいっ。池に顔突っ込んでぷくぷく浮く死体です。情けない。だいたいこんなシーンは、闇討ちとか、夜の人通りのない池のはた。冬や、あんた。寒い。されど、口にせん。はいっ、また死体やらしてくださいっ」

 エジソンが発明し、改良された世界初の複合映写機が神戸に上陸して11年後、マキノ省三監督『本能寺合戦』が製作された。

 これが日本初の本格時代劇だった。爾来ほぼ100年、太秦を中心に次々と量産された。現在56~57歳ほどの人が誕生した1955年ころが絶頂期で、東映は年間130本つくり、全国には7457のスクリーンがあった。

 福本氏の回想。

「大部屋に4、500人いました。掲示板に、何百人の名前が毎日チョークで書き込まれて。わし、明日は何やるのや。朝5時バス出発。日雇いみたいなもんやね。

 7、8本同時に掛け持ちして、いわれたらどこでも行く。なんの作品に出てる、そんなことは分からん。『こらっ、バカタレ、家にいぬ間ぁどこにある。そこの廊下に布団敷いて寝れ。早朝ロケじゃ』毎日、戦争です。大部屋俳優のほか、社員、スタッフが1500人ぐらい。歩いとる人はおらん。みんな、走りまわっとったですよ」

※週刊ポスト2012年9月14日号



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