古墳調査の是非論、根底には「知の特権」と「人権」の対立

NEWSポストセブン / 2019年9月9日 16時0分

世界遺産に登録された百舌鳥古墳群(写真/時事通信フォト)

 真実や真相と求めて、調査や研究をすすめることが、常に正しいとされるわけではない。天皇陵と伝えられる古墳の学術調査を巡って起きている対立を例に、評論家の呉智英氏が「知の特権」と「人権」の対立について解説する。

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 この七月六日、ユネスコの世界遺産委員会は、百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界文化遺産登録を決定した。日本の文化財が世界的に評価されることは大変に喜ばしい。

 この古墳群には国内最大の大山古墳が含まれる。これは宮内庁が仁徳天皇陵として管理しているが、「考古学者や歴史学者からは『被葬者が学術的に確定していない』として」この名称での登録に反対する声が出ている(七月七日付朝日新聞)。「伝(でん)仁徳天皇陵」という呼び方をすることもある。「と伝えられる」という意味だ。

 私も概ねこれに賛成だが、議論が次の段階に進むと、簡単に答えが出しにくくなる。それなら被葬者を学術的に確定するために調査をしよう、という意見に、賛成していいのか、よくないのか。

 先の朝日新聞では「非公開で本格的な発掘調査が認められておらず」としているし、同日の産経新聞では「宮内庁は『世界遺産となっても皇室祭祀が行われる〈祈りの場〉に変わりはない』と強調。『墳丘内部への立ち入りを認めることはない』」と報じる。要するに、研究者の側は真実を知りたいし、宮内庁の側は皇室の尊厳を守りたい、という対立構造がある。

 この二つのうち、宮内庁側は敢えて言いたがらないのだが、一般の国民を例にとるとかえってその主張が理解されやすい。皆さんの家のお墓について考えてみて下さい。学者たちがお墓を掘り返して、遺体か遺骨の寸法を計ったり化学分析したりして、それが嬉しいですか。曽祖父様が皆さんと血がつながってないと分かったとして、迷惑なだけじゃありませんか。調査など、余計なお世話でしょ、という説明だ。

 迷惑であり余計なお世話であるにもかかわらず、学者たちが調査したがる根拠は何か。「知の特権」である。「知」は何をやっても許されるという特権である。ジャーナリズムの報道もその一つだ。しばしば問題になる犯罪被害者の報道はその好例である。被害者は「知」られたくないのだ。

 では、調査される側が反撥する根拠は何か。これも宮内庁側は敢えて言いたがらないのだが、実は「人権」である。墓を暴かれてあれこれいじりまわされ好奇の目に曝されたくないという権利だ。

 意外と気づきにくいのだが、古墳調査の是非論の根底には「知の特権」と「人権」の対立がある。

 明治以後、北海道先住民アイヌへの関心が高まり、「知的」な研究対象となった。形質人類学(生物人類学)的観点から、アイヌの墓を発掘し、その遺骨を研究資料として保存することが行なわれた。その返還要求が「人権」の立場から叫ばれるようになり、近時返還は実現しつつある。こうした先例も、天皇陵発掘調査反対論に有利なはずなのに、宮内庁側は敢えて言及しない。

「知の特権」批判は五十年前の学生叛乱の時代に話題になりながら議論は全く深化しないまま今に至る。論者たちが知者ではなく愚者だったからだろうと、私は思う。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2019年9月20・27日号

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