競馬シーンを変えた「WINS」 今や特有の雰囲気は消えた

NEWSポストセブン / 2019年9月29日 7時0分

平成で登場した競馬を楽しめる場外の地

 平成がはじまる少し前に、競馬の「場外馬券売場」は「ウインズ」(WINS)という名称に変わる。改装・新設された“鉄火場”はまるでショッピングセンターのようになり、ギャンブル場特有の胡散臭い雰囲気が徐々に消えていった。競馬歴40年のライター・東田和美氏が指摘する。

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「中央競馬のあらまし」によれば、昭和40年代後半まで馬券の売上がもっとも多かったのは開催競馬場。昭和50年代になって徐々に場外馬券売場での売上の割合が高くなり、平成元(1989)年では、開催場が2割、「ウインズ」が7割(残りは電話投票)になった。

 だからといって競馬場に出かける人が減ったわけではない。平成元年といえば、20歳になったばかりの武豊や、前年中央に移籍したオグリキャップなどの活躍で競馬ブームが到来した年。翌2年のダービーでは東京競馬場に19万人、暮れの有馬記念では、18万人近くの観衆を集め、競馬場の入場人員も年間1000万人に達した。

 昭和最後の年に2兆円を突破したばかりの馬券売上はあっという間に3兆円を超える。GIレース当日ともなれば、競馬場はもちろん大混雑。平成6年には、プロ野球セ・リーグ観客数を上回り、ピークの平成8年には1411万人。開催日には平均5万人近くが競馬場に来ていたということになる。指定席は朝暗いうちから並ばなければ購入できず、プラチナペーパーとなっていた。

 一方、ウインズは繁華街にあるため行きやすく、かつては周囲に予想屋も店を出していて独特の雰囲気があった。入場料も取られないので、競馬場へは行かず、ウインズ専門というファンも多い。館内では競馬場ほど動き回らなくてすむので、馬券検討に集中できるのだという。行けば常連の仲間に会えるし、飲み屋もすぐ近くにある。

 もちろん混雑時にはウインズでも入場制限を行なうため、午前中から長い行列ができ、馬券購入を諦めざるを得ないこともあった。この時代はまだ、口頭で買い目を伝えての購入だ。ウインズでは1日分をまとめて買う客も多かったので、一人をさばくのに余計に時間がかかる。締切間際になると、後方に並んでいる客から「早くしろ!」と怒号が飛ぶのも、おなじみの光景だった。「馬が好き」とか「レースの醍醐味を堪能する」というよりも、純粋にギャンブルとしての場所だった。

 平成になってからは、毎年のように新しいウインズがあちこちにオープンする(もちろん昭和の時代から何年もかけて地元の理解を得るため折衝を重ねてきた)。平成6年の香川・高松からはじまり、秋田・横手、鳥取・米子、青森・津軽、長崎・佐世保、山口・小郡など、それまで中央競馬と縁が薄かった地域にも建設された。子供の遊び場なども完備され、家族連れで出かけても違和感がない、明るい雰囲気の施設ばかりだ。また、有料定員制の「エクセル」や、非滞留型の「ライトウインズ」、さらに地方競馬場や、地方競馬の場外発売施設でも発売されるようにもなった。非開催の競馬場も、「パークウインズ」などと呼ぶようになった。

 しかし、世間では携帯電話が徐々に普及。平成7(1995)年に「ウィンドウズ95」が発売されてパソコンも身近になりつつあった。平成10年には電話・インターネット投票の加入者が100万人に達し、売上も1兆円を超えるが、それでもまだ30%以下で、ウインズでの売上が倍以上を占めていた。(この項続く)

●ひがしだ・かずみ/今年還暦。伝説の競馬雑誌「プーサン」などで数々のレポートを発表していた競馬歴40年、一口馬主歴30年、地方馬主歴20年のライター。

※週刊ポスト2019年10月4日号

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