柳家小三治 感無量だった「入船亭扇橋に捧げた独演会」

NEWSポストセブン / 2019年9月26日 7時0分

小三治が語った扇橋の思い出話は?

 音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、柳家小三治と入船亭扇橋の“絆”についてお届けする。

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 8月12日、よみうりホールの独演会で、柳家小三治が入船亭扇橋の思い出をたっぷりと語った。

 開口一番の柳家三三が『五目講釈』を演じた後、高座に上がった小三治は「先日、錦帯橋に行きまして」と話し始めた。山口県の有名な木造アーチ橋だ。小三治は「錦帯橋」と聞くと扇橋を思い出すという。

 4年前に亡くなった扇橋とは親友だったと言われるが、親友って何だろう……そんな話から、扇橋が宗匠だった「やなぎ句会」の思い出、扇橋とアメリカに行った時の爆笑エピソードへ。マクラが50分を超えたところで袖にいたマネージャーから高座の小三治に声が掛かる。この会場は終演時間が厳格だという注意喚起だ。「だからって、ここでやめちまうわけにも」とさらに15分。最後に錦帯橋に話題が戻ってオチが付き、『千早ふる』へ(なぜ「錦帯橋というと扇橋」なのかは扇橋が「女性にモテた」という事実に関連するのだが、具体的には書かずにおこう)。

 13時半開演で、『千早ふる』を終えたとき既に15時半。休憩を挟んで再び小三治が高座へ上がり、あるとき寄席で『千早ふる』を演って降りてきたら、扇橋が泣きながら「落語って哀しいね」と言った、と明かす。小三治が度々言及する逸話だ。

「今日は、どうしても扇橋の話をしたかった。もしかしたらあいつは親友だったのかもしれませんね」

 そう言って小三治は『長短』に入っていった。

 僕は一度だけ、小三治と扇橋の対談を観たことがある。2006年4月15日、(東京都北区の)王子・北とぴあの「小三治・扇橋二人会」だ。僕はこのときのまったく噛み合わない、でも実に楽しいムードの会話を聞いて、「これはリアル『長短』だ!」と思った。小三治の『長短』を聴いていると、気の短い短七が小三治、気の長い長七が扇橋と重なるのである。

 扇橋自身が高座で「小三治の『千早ふる』で泣けちゃった」と語るのを僕が聞いたのは2007年11月29日、調布で開かれた「小三治・扇橋二人会」でのマクラだ。その後で扇橋が演じたのは『三井の大黒』。それを聴いた小三治はこう言った。

「今、数多くいる噺家の中で、私は扇橋が一番好きです。噺の型の中に扇橋という人間が表現されていて、とても素敵な世界がある。私もいつか、ああいう噺家になりたい」

 そして、思えばあの日も小三治は『千早ふる』を演ったのだった。

 延べ1時間半に及ぶ「扇橋の思い出」、そして『千早ふる』と『長短』。小三治ファンとしては感無量の「扇橋に捧げた独演会」だった。

●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。

※週刊ポスト2019年10月4日号

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