天皇制の論議は「憲法論の枠内」で考えてはならない

NEWSポストセブン / 2019年10月21日 16時0分

中央委員会総会であいさつする共産党の志位和夫委員長(時事通信フォト)

 新天皇の即位礼が近づき、天皇制や元号へ考え方、向き合い方がクローズアップされる機会が増えている。評論家の呉智英氏が、天皇制論議についてあらためて振り返り、その淵源を求めて考えた。

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 二十二日の新帝即位礼を目前にして各紙に関連記事が出ている。

 十月十日付産経新聞は見出しを「共産党 ご即位儀式欠席」「閣僚認証式には臨む構えも」として、共産党の中途半端な“転向”ぶりを皮肉っている。

「『2004年綱領』に『天皇の制度は憲法上の制度』などと明記してから軟化している」「6月4日付の機関紙『しんぶん赤旗』のインタビューで女性・女系天皇に賛成すると明言したのもその一環だ」。また「共産党幹部は『認証式は(憲法に基づく)国事行為だから出席する』と明言した」

 要するに、共産党は護憲主義であり女性の社会進出にも賛成だから、その点に関しては天皇制を認めるということらしい。

 記事の最後は「しかし、従来の『共産党らしさ』が失われることを心配する支持者も少なくないとみられ、ソフト路線化は組織の土台を揺るがす危険」もあるとする。

 同日付朝日新聞では「考・令和の天皇」として「慰霊のあり方 議論必要」というインタビュー記事を掲載した。発言者は近現代政治史を専攻する吉田裕である。

「今年8月、初代宮内庁長官だった故田島道治の『拝謁記』が明らかになり」昭和天皇は「『反省といふのは私ニも沢山ある』と戦争への反省を語った」。さらに「来日した全斗煥大統領に」「植民地支配に遺憾の意を示し」「日本の加害責任を認めた」。「ただ、本来こうしたメッセージは、政府が発すべきもの。政治的権能を持たない天皇が戦争への反省を『代行』している形になって」いる。

 興味深いことに、共産党も吉田裕も憲法論の枠内で天皇制を支持している。本当にこれだけでいいのだろうか。

 と思っていたら、「文藝春秋」十一月号の巻末コラムで坪内祐三が面白い視点を提示している。坪内は本誌でも美術批評を連載中だ。

「平成に入って大震災をはじめとする天変地異や長雨などの異常気象が多すぎるが、それは天皇霊が弱いからだ」「かつて村の長の最大の仕事は天気を動かすことだった。長雨が続けばそれを止め、逆に雨不足の時は降らす。天皇が日本の長だとしたら同様の役割をはたさなければならない。そして天皇には天皇霊が強い天皇と弱い天皇がいて、強い天皇はその役割をはたす」

 と坪内祐三は思ってきたのだが、最近、丸谷才一や大野晋の著作によって考えを改めた。丸谷は言う。

「この数十年間で最悪の名づけは平成といふ年号だつた。不景気、大地震、戦争とろくなことがないのはこのせいかも、と思ひたくなる」

「日本語ではエ列音は格が低い」
「ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ列音が四つ並ぶ」

 これは突拍子もない意見に思われて、そうではない。天皇制の淵源は憲法に求めるのではなく、民俗学、宗教学の知見を踏まえて考える必要がある。この六十年、皇室ニュースを率先して取り上げるのは女性誌であることに、知識人は恥じるべきだろう。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2019年11月1日号

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