部員不祥事でセンバツ出場辞退の江本孟紀氏、球児へのエール

NEWSポストセブン / 2020年3月25日 16時0分

江本氏は甲子園出場辞退経験者

 戦後初となるセンバツ中止──その知らせを受けた代表校の球児たちは人目もはばからず泣きじゃくった。どうにか彼らを救済することはできないものか。

「僕も新しいユニフォームをもらって、泊まる旅館まで決まっていたのに直前で出場できなくなった。選手たちの気持ちは痛いほどよく分かります」

 そう語るのは、野球評論家の江本孟紀氏(72)だ。江本氏は高知商業2年生の1964年、秋期四国大会で2年生エースとして活躍。翌年のセンバツ出場が決定していた。

 ところが、直前に部員の不祥事が発覚し出場辞退に。1年間の対外試合禁止処分を受け、夏の甲子園にも出場できなかった。

「出場辞退が決まってしばらく放心状態で、野球をやりたいとも思えなかった。だから、今年のセンバツ球児たちには時期をずらしてでも試合をさせてあげたいね。

 だけど、6月には地方予選が始まるし、春夏合同も現実には難しいでしょう。秋には来年のセンバツのための秋季大会が始まる。とすれば、球児のスケジュールと会場を確保するには本来ならシーズンオフの冬休みしかない。12月は寒いので、暖かい沖縄でやる案もあるが、球児は甲子園でやりたいでしょうね……。

 いずれにしても、球児には今回の件でメソメソしてほしくない。逆境を笑い飛ばして、バネにしてほしい。僕も“甲子園がダメなら神宮の杜でやろう”と大学進学に切り替えたことがプロにつながったと思う」

 高校時代に聖地・甲子園で活躍し、その重みを知るOBにも意見を聞いた。

 1969年夏、青森・三沢高校で東北勢として戦後初の決勝進出を果たし、愛媛・松山商業との延長18回・再試合をひとりで投げ抜いた“元祖・甲子園アイドル”の太田幸司氏(68)だ。

「今でこそ甲子園球場は解説でよく行きますが、最初に球場正面の蔦を見たときは震えたね。グラウンドは今より何倍も広く見えたし、アルプスはそそり立っているように感じた。青森ではスタンドのある球場でやったことがなかったですからね。スパイクがサク、サクッと入っていく柔らかなグラウンドの感触にも感激しました。

 僕は春夏合同開催には賛同できない。地方大会を勝ち抜いた夏の代表と、地域的なバランスや品行方正ぶりも考慮して選ばれたセンバツの代表はまるで別物ですから。

 でも、やはり聖地・甲子園の素晴らしさは味わってほしい。せめてどこかのタイミングで練習だけでも思う存分やらせてあげたいね。しっかり時間をかけて芝や土の感触を味わって、最後は“甲子園の土”を自分の手で持ち帰ってほしい」

※週刊ポスト2020年4月3日号

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