渡辺えり 舞台『ゲゲゲのげ』で演劇人として評価を高めた

NEWSポストセブン / 2020年3月28日 7時5分

渡辺えりが劇団旗揚げの頃を振り返る

 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優の渡辺えりが役者としてのスタートを切り、劇団を旗揚げして『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞するに至るまでについて語った言葉をお届けする。

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 渡辺えりは高校を卒業後、舞台芸術学院に入学、役者としてのスタートを切ることになる。

「舞芸では作・演出もしていました。周りはみんな役者志望で──私も役者志望でしたが──書いて演出する人がいませんでした。それで頼まれて、やることになりました。作曲も衣装も。学生時代からそれでお金をもらえていました。

 当時、影響を受けていたのは唐十郎さんです。特に魅力的だったのは、セリフの美しさ。全てが詩的で、暗喩や比喩になっている。テレビドラマのようなナチュラルなセリフよりも、舞台の場合はその方が面白いんですよね。時間と空間が変わっていくのも面白かった。過去と現在とが一緒になる、入れ子構造の芝居で。舞芸の演目も、そういった感じで考えていました」

 舞台芸術学院を卒業後は劇団青俳の演出部に所属するも、一年で退団している。

「一年間で十三本のお芝居についたのですが、演出部にはスタッフが私とあと二人くらいしかいなくて、毎日徹夜でした。トイレに行く時間もない。

 それで腎盂炎になって、いちど山形に帰って養生したんです。あまりに過酷なので、劇団に戻った時に社長にそのことを伝えたら、『お金を返してもらう』と。

『みんな一本につき一万のギャラだったけど、あんただけ月三万の給料だった。年に十三本なら一年で十三万のところが三十六万。差額の二十三万を返せ』というんです。それで頭に来て、辞めちゃったんですよ」

 一九七八年に劇団「2〇〇(後に3〇〇)」を旗揚げした。

「マスコミの方で役者として食っていきたいと思ったんですが、同期生の友達みんなから『書いてくれ』と言われて、おだてられて旗揚げしちゃったんです。

 父親には凄く反対されました。でも、二十五歳の時に書いた『夜の影』という作品を、たまたま出張で東京に来ていた時に観て凄く感動してくれて。『こういう芝居だったら許す』と言われ、今日に至る、という感じです」

 一九八三年の舞台『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞、演劇人として評価を高める。

「ホステスのバイトを十一年くらいやっていまして、日頃付き合うことのない中年男性の悲哀を知りました。給料を届けるために働くだけ働いて、家族には邪険にされる。行き場のない男性たちが王様になりたくてお店に来ていた。当時予備校の講師をしていて、子供の頃いじめられっ子だった弟にも取材した。私自身もいじめられる子供で、理不尽な立場に身を置かざるを得ない犠牲者たちを救うには、と考えて浮かんだのが妖怪と人間のハーフで、自ら母親の腹をぶち破って生まれてきたダーティーヒーロー『鬼太郎』。彼なら信頼できると思いました。

 初日は十人くらいしかお客さんが入りませんでした。でも、楽日は三百人ぐらい。ドアが閉まらないくらい押し寄せてきました。ほとんどが口コミです。

 そこまではあまり知られていなかった劇団が、『ゲゲゲのげ』で知られるようになり、そこからは倍々にお客さんが増えていくという状況でした」

*出演舞台「有頂天作家」4月2~13日まで大阪松竹座で公演。

●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中

※週刊ポスト2020年4月3日号

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