【関川夏央氏書評】誰もが身につまされる主題で綴る家族史

NEWSポストセブン / 2020年6月25日 7時5分

『万葉学者、墓をしまい母を送る』上野誠・著

【書評】『万葉学者、墓をしまい母を送る』/上野誠・著/講談社/1400円+税
【評者】関川夏央(作家)

 親を看取ること。それから家の墓をどうするかということ。五十歳以上なら誰もが身につまされる主題でえがいた家族の歴史である。著者・上野誠は今年六十歳、奈良の大学で三十年教える万葉学者だ。

 福岡市の南三十キロの甘木(現朝倉市)で、曽祖父が呉服屋を営んでいた。それを洋品店にかえ、大胆な発想と実行力で「小さなデパート」にまで広げたのは祖父であった。その祖父が、一九三〇年(昭和五)三十五歳で「累代の墓」を建てた。最高の石材を使った二階建て、一階の納骨室には大人五、六人が立ったまま入れるお墓は、近代商家の成功の記念碑であり、一族の繁栄と持続を祈る「家」であった。

 しかし時代は移る。一九六〇年代、スーパーマーケットが衣料品を扱い始めると、個人商店は仕入れ量と売り場面積で太刀打ちできなくなった。三代目である著者の父は、甘木の店を整理して福岡市に移った。

 七三年に祖父が、八三年には祖母が亡くなった。結局、この立派なお墓に入ったのは祖父母だけだった。やがて父と兄も亡くなり、老母の介護と維持にお金のかかる墓を託された著者は、決断をくだした。老母に奈良にきてもらい、母の資産(千二百万円とわずかな年金)をすべて介護で使い切る。甘木の「立派な墓」は、いくら費用がかかっても「しまう」(整理する)。

 実は、墓石を競う「累代の墓」は産業革命以降の比較的あたらしい流行にすぎないという。それ以前は土葬の土饅頭で、数代を経ぬうちに埋めた場所はわからなくなっていた。死者を記憶しつづけるのは大切なことだ。しかし同時に、死者は「特定の誰という人物から、『ご先祖さま』になって、名前を忘れられてゆく必要がある」。

「累代の墓」を六十二年で「しまい」、老母の九十四歳まで七年間の看取りとコンパクトな葬儀を「外注」に助けられてやりおおせた著者が記した家族史こそ、現代の民俗学テキストであろう。

※週刊ポスト2020年6月26日号

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