ほぼ無観客だったパ球場、社員動員で500人や七輪で焼肉も

NEWSポストセブン / 2020年6月23日 16時5分

江本氏は東映と南海に在籍した

 3か月遅れの開幕となったプロ野球。交流戦やオールスターがなく、同一カード6連戦が続くなど、異例ずくめのペナントレースがいよいよ始まる。

 なかでも最大の影響を与えそうなのが、「無観客試合」だ。そんな“景色”が、過去のプロ野球に存在した。

「無観客と聞いて思い出すのが、1970年代のパ・リーグです」と語るのは、1971年に東映フライヤーズに入団し、翌年南海ホークスに移籍した江本孟紀氏(72)だ。

 江本氏は南海の本拠地・大阪球場で、“ほぼ無観客”という試合を何度も経験した。

「大阪球場が満員になったのは春の巨人とのオープン戦と、夏の西城秀樹のコンサートだけでした。当時のパ・リーグはどの球場でも閑古鳥が鳴いていた。オールスターに選ばれて満員の球場に行くと、アガってストライクが入らなくなるピッチャーがいたほどです」(江本氏)

 1950年代から1970年代に、阪急ブレーブスなどで歴代2位となる350勝を挙げた米田哲也氏(82)も当時を振り返る。

「誰も座っていないネット裏の年間指定席も観客動員数に加えるのが常識だった。実際にはスタンドには500人くらいしかいなかった。阪急が社員を動員してもその程度で、スタンドのファンの会話がプレー中の選手にも聞こえたくらいです」

 巨人がV8を達成した1972年のセ・リーグの観客動員数が619万5500人なのに対し、パ・リーグの観客動員数はわずか253万9800人。巨人1球団で230万5500人だから、パ・リーグ全体と巨人の観客動員数がほぼ同じだった。ソフトバンクや西武をはじめスター選手が揃い、人気でもセに引けを取らなくなった現在とは隔世の感がある。

 パ球場の閑古鳥は1980年代も鳴き続けた。甲子園の優勝投手として1981年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団した金村義明氏(56)が回想する。

「当時は球場もオンボロでしたが、人気もボロボロ。開幕直後の土日や祭日はそこそこお客さんが入りましたが、それ以外はネット裏と一・三塁のベンチ上にパラパラと人がいる程度で、観客より球場関係者のほうが多いことがしばしば。特に消化試合は本当に無観客で、日程をこなすために土砂降りで誰も見てないなかゲームをしたこともあった」(金村氏)

 なかでも「無観客伝説」の極みといわれるのが、1978年からロッテオリオンズが本拠地にした川崎球場だった。

「藤井寺、大阪、西宮の関西3球場もひどかったけど、川崎球場は輪をかけてガラガラでした。スタンドでは、当時人気だった『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)の『珍プレー好プレー』への出演を狙ったファンが麻雀や流しそうめんを楽しみ、アベックがキスをしていた。スタンドから煙が出てボヤかと思ったら、ファンが七輪を持ち込んで試合そっちのけで焼肉をしていたこともありました(笑い)」(同前)

 手荷物検査などなかった時代、球場に集まる数少ないファンは思い思いの私物を持ち込んで、独自の観戦スタイルを謳歌した。

 今でこそ、観客が野球以外の娯楽を楽しめるボールパーク構想が盛んだが、当時のパ・リーグの球場はその走りだったのかもしれない。

※週刊ポスト2020年7月3日号

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