岸信介政権研究 新安保条約成立と国民皆保険創設の功罪

NEWSポストセブン / 2020年7月25日 7時5分

1960年の安保改正反対運動は死者も出た(写真/共同通信社)

 今年8月24日に安倍晋三首相の「連続在任期間」は大叔父である佐藤栄作首相の記録(7年8か月)を抜き、歴代最長となる。

「歌手1年、総理2年の使い捨て。一内閣一仕事でいい」。そう語ったのは竹下登首相で、一つの内閣が達成できる仕事はせいぜい一つという意味だ。事実、第2次安倍内閣までの6代の総理(その1人は安倍首相)は在任ほぼ1年ごとに交代し、政権が不安定で「何も決められない政治」と言われた。

 では、歴代最長の安倍政権はこの国と国民の将来に何を遺すことができるのだろうか。それを検証するために、歴代の長期政権が遺した足跡を同時代の証言で辿っていく。シリーズ第1回は「昭和の妖怪」と呼ばれた安倍首相の祖父・岸信介首相(在任1241日)である。(文中敬称略)

「社会主義にだって賛成する」

 岸信介首相は、「日米安保条約を改定したタカ派の再軍備論者」というイメージで語られる。

 戦前は東條内閣の商工大臣を務め、敗戦後、A級戦犯に指定、逮捕されながら不起訴となり、「自主憲法制定」を掲げて戦後政界に復帰すると、わずか4年で総理大臣にのぼりつめた。

 首相に就任した岸は訪米してアイゼンハワー大統領と会談し、日米安保条約を改定する。この新安保条約が現在まで60年続く日米同盟の基礎となっているのは間違いない。だが、安保改定に反対するデモ隊が国会や首相官邸、岸の私邸にまで押しかける中、条約を国会で強行採決したことが強権的なイメージを後世に残した。

 安倍首相は著書『美しい国へ』の中で、「わたしの原点」としてデモ隊が南平台(渋谷区)の岸邸に押し寄せた時の幼い記憶をこう書いている。

〈子供だったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさい」と、冗談まじりにたしなめた。祖父は、それをニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった〉

 新安保条約の発効を見届けた岸は1960年7月19日に退陣する。

 どんな人物だったのか。当時、日本経済新聞の新人記者で、岸が退陣するまでの4か月間、総理番を務めた山岸一平・日本経済新聞社元専務が振り返る。

「岸信介というと、満州国をつくった強面のイメージが強かったが、人間的で話しやすい人でした。岸さんの自宅に我々番記者は朝晩通うわけですが、『朝から、ご苦労』なんて気軽に声を掛けてくれる。ある時岸さんがふらっと記者クラブに顔を出して、『君らは勝手に、言いたいことを書けて良いな』なんて言ってきたことがある。が、『文句を言っているのではないぞ。娘を新聞記者(脚注=娘婿で安倍首相の父・晋太郎氏は毎日新聞記者出身)に嫁がせているくらいだからな』とも言って笑わせていました」

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