モー娘。、CHEMISTRYらを輩出 『ASAYAN』の功績

NEWSポストセブン / 2020年8月15日 7時5分

 そこで、それを逆手にとって、われわれ番組スタッフが小室哲哉という天才に振り回される状況をそのまま放送していたのですが、それがウケたんです」

オーディション風景、合宿、すべてを電波で流した

 こうして1995年10月に始まった『ASAYAN』は、歌手を発掘するだけにとどまらず、『夢のオーディションバラエティー。ASAYAN』という番組名となり、オーディションの枠をモデル、女優、デザイナーなどに拡大。そして、大きな転機となったのが、小室に次ぐ、つんく♂(51才)のプロデューサー就任だった。

「番組を独立させるにあたり、“小室プロデュース”のように、誰か有名な人をプロデューサーにしたいと思っていたので、B’zの稲葉浩志さん(55才)はじめ、いろんなかたにオファーをしたのですが、その中で快諾してくれたのが、つんく♂さんでした」

 番組がブレークするきっかけとなった企画『シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション』が1997年4月にスタートする。1991年のバブル崩壊から6年。不況が続く中、人々は歌手になりたいと懸命に頑張る彼女たちの姿に一縷の希望を見出していく。

「東京、大阪、札幌、福岡の4か所で一次審査が行われ、総勢9900人が応募。書類審査、スタジオでの歌収録、シャ乱Qのメンバーからのさまざまな課題をクリアし、最終審査には11人が進みました」

 その中にいたのが、中澤裕子(47才)だ。

「最終審査のために新幹線に乗り、東京駅に着いたら何も分からない状況でマイクロバスに乗せられ、到着したのがお寺で、いきなり合宿がスタート。合宿では課題曲や振り付けなどを覚え、ボイストレーニングしながら怒られる。とにかく覚えなきゃいけないことが短期間で多すぎて、ほかの人のことを考えている余裕はありませんでした。ただ、濃密な時間だったので、ここで過ごした人たちは私の人生に必要だったと思います」(中澤)

 鮫肌さんもこう話す。

「かなりの無茶ぶりではありましたが、歌手になりたいという夢に向かうひたむきさが視聴者から見ても、共感を呼んだのかなと思います」

 このプロジェクトの合格者は、みちよ(41才、当時・平家充代)だったが、落選者の中から5人が集められ、モーニング娘。としてデビューすることに。オーディション番組は『ASAYAN』の一人勝ち状態となっていく。

 また、同番組内では1999年8月に『男子ボーカリストオーディション』を開催。

 このオーディションにはEXILEのメンバーとなったATSUSHI(40才)やNESMITH(37才)、ミュージカル俳優としても活躍する藤岡正明(37才)などが参加していたが、最終的に選ばれたのは、川畑要(41才)と堂珍嘉邦(41才)からなるCHEMISTRYだ。

 参加者の藤岡は、当時、こんな感情を抱いていたという。

「長いオーディションで、かなり精神的に疲弊していました。忘れられないのは、何回か予選を行い、5人まで絞った中から1人、脱落者が出るという回。それが、ATSUSHIくんだったのですが、同じ釜の飯を食べ、励ましあった仲間なので、残った4人ともいなくなった喪失感が大きかったのを覚えています」

※女性セブン2020年8月20・27日号

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング