甲子園春夏連覇を達成した「琉球トルネード」10年間の苦悩

NEWSポストセブン / 2020年8月14日 7時5分

2010年、日米親善大会では先発登板もした(時事通信フォト)

 2010年、沖縄・興南高校は史上6校目となる甲子園春夏連覇を成し遂げた。上半身を大きく捻る「琉球トルネード」と呼ばれたエース・島袋洋奨の快投は沖縄で連日大ニュースとなり、島は歓喜と興奮に包まれた。あれからちょうど10年──島袋の「その後」に何があったのかを知る人は少ない。『まかちょーけ 興南 春夏連覇のその後』(集英社文庫)を上梓した松永多佳倫氏がレポートする。

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 甲子園優勝投手が確実にプロで活躍できるという保証はどこにもないが、長いプロ野球の歴史を紐解くと、興味深い傾向が見えてくる。プロで活躍できた甲子園優勝投手のほとんどは高校卒業後すぐにプロ入りしているのだ。一方、大学を経由してプロに進んだ甲子園優勝投手は全部で13人いるが、「夏の優勝経験者」は5人。そのうち小川淳司(1975年習志野)と西田真二(1978年PL学園)は大学で打者に転向し、石田文樹(1984年取手二)は社会人野球を経由しているので、「夏の甲子園優勝投手で大学卒業後すぐにピッチャーとしてプロ入りした選手」は、斎藤佑樹(2006年早実)と島袋洋奨の2人だけとなる。

 島袋洋奨といえば、高校野球ファンなら覚えている名前であろう。今からちょうど10年前の2010年、史上6校目となる春夏連覇を達成した興南高校のエースとして甲子園のマウンドで躍動していた、あの島袋である。春夏連覇のエースといえば、松坂大輔(1998年横浜)や藤浪晋太郎(2012年大阪桐蔭)の印象が強いが、変則フォーム“琉球トルネード”から繰り出すボールの軌道、威力、コントロールなど、総合的に見ても松坂や藤浪に劣らぬ抜群の存在感だった。2010年にドラフトにかかっていれば上位指名は間違いなかった。

 昨年10月、島袋がソフトバンクを自由契約になったというニュースが流れた。甲子園史に燦然と輝く投球を見せた島袋は、5年間で登板2試合の実績しか残せず、寂しくプロの舞台を去っていった。

 島袋は高校卒業後、プロ志望届を出さずに中央大学に進学した。中大を選んだ理由のひとつには、プロで60勝を挙げ、4球団で投手コーチをやって投手育成に定評があった高橋善正監督(元巨人)の存在があった。

 2011年、中大1年生の島袋は春から主戦投手として投げ、5試合1勝3敗、投球回数36回1/3、防御率0.98で新人王を獲得。甲子園での活躍に恥じない成績を残した。しかし1年秋のリーグが終わると、成績不振により高橋監督が解任される。その出来事が島袋の運命も変えた。

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