亡くなる2日前まで普通に仕事をしていたパンチパーマ生みの親

NEWSポストセブン / 2012年12月23日 16時0分

 今年4月、「パンチパーマの祖」が、静かにその生涯を閉じた。福岡県北九州市で理髪店『ヘアサロン永沼』を経営する、永沼重己さん(享年75)である。

「亡くなる2日前は店で普通に仕事をしていて、翌日は定休日だったので、趣味のカメラをいじっていました。それが当日、朝に起こしに行くと冷たくなっていて……。頑固でしたが、本当に仕事が好きな人でした」(妻・房子さん)

 永沼さんは19歳で理容業界に入り、26歳で独立した。当時の男性のヘアスタイルといえば、七三分けかスポーツ刈りくらいのものだったが、もっとファッション性のあるものをと考案したのが、パンチパーマだった。

 ヒントを得たのは、黒人の短く縮れた髪。自ら改造したヘアアイロンで施術する斬新な髪型は話題を呼び、永沼さんは講習のため全国を飛び回った。

「当初は、“これ以上ない髪型”として『チャンピオンプレス』と名付けていたんですよ。主人は、“パンチの効いた、男性らしい強さがある特徴からパンチパーマと呼ばれているようだ”と語っていましたね。

 アイロンの温度は160度近くになります。地肌に触れれば火傷させてしまうので、私が少しでも音をさせると主人に睨まれたものです。職人の鑑のような人で、時間さえあれば店で道具の手入れをしていました。

 4年前に大病をして、余命2年と宣告されていたんです。それでも薬を飲みながら、最期まで職人としてハサミを握って店に立った。パンチパーマ考案者として名を残せて良かったと思っています」(房子さん)

 現在、店は永沼さんの下で20年修業した娘婿の久保政生さんが継ぎ、数十年来の常連客にも施術している。北九州の地で生まれた文化は、今もしっかりと受け継がれている。

※週刊ポスト2013年1月1・11日号



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