阿部定、太宰治 生死をかけた危険な「日本の禁断愛」の形

NEWSポストセブン / 2021年2月11日 16時5分

“禁断愛”はいつの世も女性たちの心を揺さぶる

 古くから、人々の大きな関心実なり続けているのが「恋愛」だ。日常にあるようなささやかな恋愛はもちろん、普通に暮らしていたら味わうことができないような“禁断の愛”もまた、人々の興味をひく。たとえば、韓国の令嬢と北朝鮮の軍人の愛を描く韓国ドラマ『愛の不時着』などは、まさに“禁断の愛”を描いて人気となった作品だ。

 さらに、人々の興味はより深い部分へと進んでいく。単に“禁断の愛”というだけでなく、生死が絡んでいくような壮絶な愛が、世間を騒がせることも少なくない。コラムニストの辛酸なめ子さんの視点を混じえ、日本社会を揺るがした愛の形を振り返る。

危険な情事の深みに堕ちて

 アブノーマルな世界だからこそ自分のすべてを曝け出してしまいたい。踏み込めば抜け出せないそこは危険地帯……。

【阿部定】

 1936年5月18日、東京・荒川区の待合(いまでいう「ラブホテル」のようなところ)で阿部定(消息不明)が愛人の石田吉蔵(享年42)を殺害。局部を切り取って逃亡した。石田は定が住み込みで勤める料理屋の経営者で、事件は駆け落ちの途中で起きた。

 ふたりは交わりの際に首を絞める、いわゆるSMプレーで快楽を高める行為を行っており、主に定が石田の首を絞めていたという。情事の後、眠る石田を見た定は「吉蔵を永遠に独占するためには殺すしかない」と考え、腰ひもで絞殺。石田の遺体に「定」と刻み、シーツに「定吉二人キリ」と血文字を残し逃走。2日後に逮捕された。

「阿部定は仲居になるまでに、芸者や高級売春婦として生計を立てていました。ずっと男から性の道具として消費されていて、どこかに男性に対する恨みや怒りがたまっていた。それが、局部を切り取るという行為につながったのだと思います。

 愛人との間に愛はあったと思いますが、ふたりの関係に希望はなかった。堕落しながら首絞めプレーを極めていけば、そこに残るのは死しかありません。ワケあり人生で辿り着いた阿部定が愛人と出会ったとき、もしかしたら、すでにふたりはそうした最悪の結末を予感していたのかもしれません。阿部定はそんな負のオーラを醸し出す魅力的な女性だったのでしょう」(辛酸さん)

刹那な恋路の行く末に

 失望、病気、複雑な三角関係。八方ふさがりの状況に世を儚んだふたりを待っていたのは、激流の三途の川か──。

【太宰治】

 作家の太宰治(享年38)が1948年、6月13日に東京・玉川上水で入水自殺したことは有名。このとき、太宰とともに亡くなったのが愛人の山崎富榮(享年28)だった。太宰は当時、妻との間に3児、愛人・太田静子(享年69)との間に1児がいる身で、富榮は美容師として働く傍ら、結核を患う太宰を看護し支え、秘書的な役割も担っていた。富榮の遺書には「女として生き女として死にとうございます」という一文があった。

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