グラスを未承諾で作るも咎めぬサントリー「やってみなはれ」

NEWSポストセブン / 2013年1月21日 7時0分

 若者の「ビール離れ」「アルコール離れ」が叫ばれて久しい。実際に酒類全般の消費は年々減少している。しかし、その中でも「ザ・プレミアム・モルツ」(プレモル)などヒット商品を次々に生み出し、シェアを拡大しているのがサントリーだ。同社の企業風土を象徴する「やってみなはれ」精神についてはこれまでたびたび報じられてきたが、それはどのように商品として花開いてきたのか。ジャーナリストの永井隆氏がリポートする。

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「『やってみなはれ』が、サントリーのDNA」

 佐治信忠サントリーホールディングス(HD)社長は、よくそう話す。今では広く知られたそのフレーズこそ、攻めの精神の背景になっている。

 ビール事業は現社長の父親であり2代目社長の佐治敬三氏が1963年に始めたものだ。敬三氏が、ビール参入の意思を創業者であり父親の鳥井信治郎氏(現社長の祖父)に伝えたのは1961年春。病気で静養していた創業者は、「人生はとどのつまり賭けや。わしは何も言わん。やってみなはれ」と、日頃から口にしていた言葉を贈った。

 実は信治郎氏は戦前、ビールに参入し撤退した経験があった。撤退したからこそウイスキーに集中でき、会社が成長した面はあった。

「やってみなはれ」で始まった敬三氏によるビールへの再参入は、サントリーにとって「賭け」の挑戦だった。

 1989年、サントリーは府中市の武蔵野ビール工場内に試醸用のミニブルワリーを建設。そこでチェリービールなどとともに醸造されたのがプレモルの“プロトタイプ”だった。筆者はその年の9月に同工場を訪れ、プレモルを飲んだ。

「世界最高峰のピルスナービールをサントリーは作り上げます」と醸造技師たちは熱く語っていた。そして16年後の2005年にプレモルが「最高金賞」を受賞。2008年には、参入から実に46年目にしてビール類事業が黒字化した。

 そのころから「やってみなはれ」が次々とヒット商品として花開いた。

 一つの例が、すっかり人気が定着した「ハイボール」である。ウイスキーは1980年代半ばから長く低迷していたが、2007年ごろからのハイボールブームにより復活を遂げた。

 そのムーブメントの仕掛け役となったのが、他ならぬサントリーだった。スピリッツ事業部門の幹部が語る。

「月島のもんじゃ焼き店にメニューとして提案したり、『角ハイボール酒場』の展開を提案したりと、現場が“どうやったらウイスキーを若者においしく飲んでもらえるか”を考えて動きました。

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