新島襄を描いた小説の著者 妻・八重ブームの影響を否定する

NEWSポストセブン / 2013年1月16日 7時0分

【著者に訊け】増田晶文氏・著/『ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重』/講談社/1680円

〈ならぬことはならぬ〉という故郷・会津の掟を守り、戊辰戦争では自ら銃を手に戦った元祖ハンサムウーマン、新島八重の生涯を描く新大河『八重の桜』(綾瀬はるか主演)がスタートした。

「最近は新島襄=八重の夫と言われかねないくらい、出版界も八重ブームですけどね。僕にとって新島襄は昔から新島先生で、彼の妻がたまたま八重なんです」

 同志社英学校(現・同志社大学)の創始者で、明治を代表する教育者の一人・新島襄(1843~1890年)。幕末の混乱期にアメリカに密航し、洗礼を受けた彼はキリスト教精神の下に自由と平等を標榜する学び舎を京都に開き、日本初の私大創設を夢見て奔走した。

 その短くも清冽な生涯を愛弟子・徳富蘇峰の目から描いた『ジョーの夢』は、著者・増田晶文氏(52)にとって初小説。周囲の無理解と逆風の中で理想を追った母校の始祖の闇雲な情熱は、氏の代表作『果てなき渇望』(1998年)にも通じる。増田氏はこう語る。

「たぶん闇雲に熱い“無私の人”が、小説かノンフィクションかを問わず、僕の書きたいものなんです」

 理想の肉体を追求するがあまり、家庭や命すら犠牲にするボディビルダーたち。その禍々(まがまが)しいまでの自己実現欲求に肉薄した『果てなき渇望』でデビュー以来、増田氏は陸上からお笑いまで、様々な分野に“渇望”を探し求めてきたという。

「たぶん僕自身が禍々しい人間なんでしょうね(笑い)。ただ、そこまでの対象とそう簡単に出会えないのも事実で、新島先生のこともずっと書きたいと思いながら、資料や視点の点でノンフィクションでは無理だと諦めてきた。

 そんなとき、徳富蘇峰が熱烈な新島信奉者だったことを知り、実際彼の本を読むと思いっきり新島ラブなんですよ(笑い)。おお、俺と一緒や、だったら彼が見た先生を、小説なら書けるんじゃないかと」

 後に『國民新聞』の主宰として言論界で活躍する蘇峰こと徳富猪一郎が、自宅に新島を訪ねたのは明治9年、13歳の時。熊本洋学校から東京英語学校に転じ、そこでも師と認める人物に出会えなかった彼は生意気にも首実検に押しかけ、妻に〈ジョー〉と呼び捨てされる33歳の校長を、結局は生涯慕うことになる。

「蘇峰の日記によれば完全な一目惚れだったようです。当時はレディファーストなんてもちろん知りませんから、夫の前を堂々と歩き、ドアまで開けさせる八重を〈まるで鵺(ぬえ)ばい〉と蘇峰が譬えたのは有名な話。しかもドラマと違って美形とは言い難い八重を〈生き方がハンサム〉と評した新島は生徒にも先生ではなく新島さんと呼ばせる、筋金入りの平等主義者でした。

 面白いのはその温厚篤実を地で行く先生を、肥後で言う〈いひゅうもん〉、つまり旋毛(つむじ)曲がりの変人ばかり慕ってくる。そして優等生より反骨の徒を愛した新島自身が桜というより〈梅〉で、当時既に多くの財界人を輩出していた慶應がビートルズなら同志社はストーンズ。福澤諭吉がクラプトンなら新島襄はジェフ・ベックで、道理で蘇峰や僕が惹かれるはずです(笑い)」

※週刊ポスト2013年1月25日号



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