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仰木監督のDNAを継ぐオリ中嶋聡監督 現役時代はウマが合わなかった

NEWSポストセブン / 2021年11月9日 16時15分

仰木監督時代でキャッチャーをしていたのが中嶋聡・現監督(時事通信フォト)

 2年連続の最下位、シーズン途中での監督交代。昨年の惨状から誰がこんな結果を予想できたか。ファンも評論家も「奇跡」と呼ぶオリックス・バファローズのパ・リーグ優勝だが、中嶋聡監督らにとっては“懐かしい景色”だったのかもしれない。この優勝を導いたのは、25年前、名将・仰木彬の薫陶を受け、そのDNAを引き継いだ者たちだった。(全3回の第2回)

 仰木オリックスの記憶と記録は輝かしい。

 1995年1月に発生した阪神・淡路大震災で、日本列島は悲しみに打ちひしがれていた。そこで、「がんばろうKOBE」を合言葉に、戦ったのが当時兵庫県に本拠地を置くオリックスだった。イチローをはじめ、田口壮、ニール、福良淳一、藤井康雄が並ぶ打線に、投手陣は野田浩司、星野伸之、長谷川滋利の先発3本柱が2ケタ勝利をマーク。彼らをリードしたのが中嶋で、見事にリーグ優勝を飾った。翌1996年は巨人を破って日本一に。データに直感を加えた采配は「仰木マジック」と呼ばれた。

 イチロー、田口と共に12球団一の外野と評された優勝メンバーの本西厚博氏はこう振り返る。

「仰木采配の根本は徹底的なデータ野球でした。相手投手との相性で、毎試合、打線を変えていました。中嶋の場合は運もあった。今年はイチロー以来の2年連続首位打者になった吉田が骨折して離脱したが、4番の杉本裕太郎(30)と1番の福田周平(29)が穴を埋めたからね。機動力を使うことに関しては、仰木監督のほうが巧みでした」

 実際、仰木監督は「仰木マジックとよく言われますが、そんなの本当はないんです。あえて言えば確率です」と、データに基づいた采配だったことを明かしている。

 二軍打撃コーチとしてイチローと二人三脚で「振り子打法」を完成させた河村健一郎氏もこう振り返る。

「仰木監督は結果さえ伴えば選手を使ってくれる人でした。イチローは入団当初、首脳陣から“足を生かすためにゴロを打つフォームに変えろ”と言われていました。しかし、長所のレベルスイングを伸ばすべきだと考え、1年間、方針に背いて基礎体力トレーニングだけさせていました。翌年、就任した仰木監督に相談したところ、指導方針を一任してくれました」

 仰木監督は就任1年目の1994年にイチローを一軍に抜擢、シーズン210安打のプロ野球新記録の偉業を達成させた。登録名を本名の鈴木一朗から「誰にでも分かる名前にしたほうがいい」と変えさせたのも仰木監督であり、まさに「イチロー産みの親」である。

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