金本知憲氏 ファンの六甲おろし歌う姿に支えられて頑張った

NEWSポストセブン / 2013年2月21日 7時0分

 昨年9月に阪神タイガースのユニフォームを脱ぐ決意を明かした記者会見で、「ホッとしたという気持ちが、かなりを占める」など、意外な言葉を次々と口にした「鉄人」金本知憲氏。

 苦悩を押し隠し、独り苦しみに耐えたからこそ、数々の栄光の記録が残ったということなのか。改めて金本氏に「もがき続けた野球人生」を聞いた。

──学生時代には早くから実力を発揮し、もっと自信家だったのでは? 自伝『人生賭けて』(小学館刊)では指導者から評価されなかったとも明かしている。「なにくそ」「見返してやる」というのもあったか。

金本:最初はそれもありましたが、そんな気持ちではプロは通用しません。何とか実力をつけようと、コーチに言われるまま1日1000スイングを1週間続けたこともある。

 当時は「何の役にも立たない」と馬鹿にされていたウエートトレーニングを取り入れたのもプロのレベルに追い付こうともがいた結果です。力のない自分が悪いと考え、期待してもらえるレベルに達するよう頑張るのが精一杯で、周囲を気にする余裕などありませんでした。

 若い頃は早く一人前になりたい、しっかり稼いで家族を楽にしてやりたい、いい車に乗りたい、きれいな女性と付き合いたい(笑)と思ってやっていたけれど、それはそれでいいと思います。むしろ若い選手はもっと野心を持って、ハングリー精神を剥き出しにするべきです。

 しかし、いつまでも「自分のため」だけでは「向上心」とは言えない。僕の場合、カープでレギュラーを獲ってから、モチベーションが少しずつ変わってきました。例えば「世話になった監督を胴上げしたい」という思いが強くなってきました。

──頑張る理由が個人からチームになった。

金本:もちろん個人的な数字目標もあるが、まず自分を使ってくれる監督を男にしたいと思いました。そして、優勝するためにどうすればいいかを考えるようになった。打って貢献したい、守って貢献したい、そして走って貢献したいと、今度は監督のために、がむしゃらに野球をした。

 阪神に移る頃には、もちろん星野(仙一)監督を胴上げしたいというのもあったが、中心選手として期待されていたから、もっと「チームのために」という思いが強くなった。

 赤星(憲広)が出塁すれば、盗塁させるために2ストライクまで打たずに見送ったり、ランナーを進めるバッティングに徹したりした。一・二塁間にゴロを打てば進塁打になる確率が高いから、引っ掛けやすい右ピッチャーのシュート系のボール球をわざと打ちにいくこともあった。

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