震災復興に向け努力を続けるプレハブの仮設住宅商店街の現在

NEWSポストセブン / 2013年3月28日 16時0分

 被災地の復興はいま、どう進んでいるのか。ジャーナリスト・片山修氏が宮城県気仙沼市に立った。再び立ち上がる力の源はどこから来るのだろうと考える。

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 早いもので2011年3月11日の東日本大震災から3年目を迎えた。被災地で、復興に向かって懸命な努力を続ける、プレハブの仮設“人情”商店街を訪れた。

「復興商店街」は、気仙沼市内に9か所を数える。「屋台村」「南町紫市場」「復幸マルシェ」「さかなの駅」「かもめ通り」…など、そのネーミングを見ても、いかにも“人情”商店街を想起させるではないか。

「震災直後から、瓦礫の片付けをしていたんです。その1か月後、もう一度ここで商売をやってみようと思ったんです」

 そう語るのは、「気仙沼復興商店街」副理事の坂本正人さんだ。最初は避難所の有志が集まって、“青空市”から始まった。その後、独立行政法人中小企業基盤整備機構の復興支援にエントリーし、「気仙沼復興商店街」を立ち上げた。

「復幸マルシェ」をたった一人で立ち上げたのは、同マルシェ代表理事で、釜揚げうどん「団平」のご主人の塩田賢一さんだ。

「土地を借り、瓦礫を片付けるのも一人でやりました。トラックや重機など、必要な8種類の免許証を取りました。4か月で整地し、入居者の募集もすべて自分でやりました」

 東北人の粘り強さに脱帽せざるを得ない。

「あのとき、家ごと丘の方に流されて助かった。もともとマグロ船のコック長をしていたのよ。それこそ、船に乗ったら、1年や2年帰らないこともあった。世界中の海に行ったな」と、「屋台村」に居酒屋「大漁丸」を出店している、菊地正男さんは語る。

 仮説商店街を歩く。寿司屋、居酒屋、揚げたてコロッケ屋、魚屋、とんかつ屋、うどん屋、焼鳥店、焼き肉店などの飲食店、衣料品店、刃物店、花屋、薬局、電気店、陶器店などの物販店。その種類のにぎやかさは、まさに町の商店街だ。

 ちなみに、復興に向けて、JR東日本は、2012年12月22日から、津波被害を受けた気仙沼駅間の仮復旧として、BRT(バス高速輸送システム)の運行を始め、全線が開通した。地域の足として、観光の足として、多くの利用が期待されている。

●取材・文/片山修

※週刊ポスト2013年4月5日号

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