横浜・松坂大輔 3時間半超える死闘の結果2日間で合計398球

NEWSポストセブン / 2013年8月20日 7時0分

 夏の甲子園で開催される高校野球大会は、世界に類を見ない国民的スポーツイベントだ。今夏95回を数えた大会の歴史を振り返り、ここでは1998年第80回大会準々決勝(8月20日)、東神奈川代表の横浜と南大阪代表のPL学園の一戦を振り返ろう。

 センバツの準決勝で横浜に敗れたPL学園は雪辱を期していた。2回裏、前日の星稜戦で148球を投げた松坂に襲いかかる。先頭打者のセンター前ヒットをきっかけに、松坂に4安打を浴びせて3点を先取。動揺した松坂はボークまで取られて自滅寸前。

 そんな松坂を救ったのが横浜打線だった。先発の稲田学を襲って、5回には4対4の同点に追いついた。PL学園は7回からエース上重聡が登板。1点勝ち越したが、横浜は8回に1点を奪い返す粘りを見せる。アマチュア野球評論家の松尾俊治氏が指摘する。

「PL学園は記録に残らないミスを重ねた。そのミスが松坂を助けた」

 たとえば8回表の守備。PL学園は二死一塁の場面で、一塁手がベンチからのサインを勘違いしてキャンバスを離れて守った。ランナーは大きなリードから楽々二盗を決めた。そして、同点タイムリーを打たれてしまった。

「PL学園は正捕手がケガをして、8回から2年生の控え捕手がマスクを被った。公式戦初出場だった。その経験の浅さを露呈したのが、11回表の本塁クロスプレー。タイミングはアウトだったが、捕手がボールをこぼして松坂の本塁生還を許してしまった」(松尾氏)

 勝敗を決めたのもやはり守備のミスだった。17回表の横浜の攻撃。PL学園は二死から遊撃手のエラーで出塁を許した。そして、打順が回らないはずだった常盤が打席に入り、2ランホームランを放って勝負がついた。 「松坂は8回ごろからどんどん調子を上げていった。投げれば投げるほど球は走り、制球力も増した」(松尾氏)

 250球を投げた松坂は、翌日の準決勝の明徳義塾戦では先発を回避したものの、4対6で負けていた9回表にマウンドに上がって逆転勝利。決勝の京都成章戦ではノーヒットノーランを達成し、春夏連覇に花を添えた。

 松坂と投げ合ったPL学園の上重は立教大学に進学して野球を続け、2年時に東京六大学の東大戦で完全試合を達成した。卒業後は日本テレビのアナウンサーとして活躍している。

※SAPIO2013年9月号

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