AV女優の壮絶な経験談を「鵜呑みにしてはいけない」との指摘

NEWSポストセブン / 2013年9月14日 16時0分

【書評】『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』鈴木涼美/青土社/ 1995円

【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)】

 どうして自分はAV女優になったのか。そんな自分語りを、女優たちはしばしばくりひろげる。雑誌のインタビューのみならず、AVの画面でも。

 それぞれ、なかなか聞きごたえもある。おもしろい語りになっている。だが、その表面的なあざやかさやわかりやすさをうのみにしては、いけない。彼女たちは、日常的に自分語りを要請されている。

 仕事をもらうためには、業界内でのさまざまな面接をへなければならない。彼女らの語りは、たびかさなる面接をへて、みがきあげられていく。「お兄ちゃん」に犯された過去などは、いともたやすくつくられてしまうのだ。

 こうした語りは、また彼女たち自身を納得させる効用も、もっている。ほんとうのところは、どうしてこの道にはいったのかがわからない。少女が自分の性を軽やかに商品化する。都会ではよく見かけるそんな場から、一歩ふみこんだだけだったのかもしれない。しかし、自分語りをつづけていくうちに、彼女らはもっともらしい説明へたどりつく。視聴者の欲望する女優像のみならず、今の自分が合理化できる語りを見つけだす。

 女優のインタビュー集などは、気をつけて読まねばならないなと思う。性の商品化を問いただす既存の社会学にも、とんちんかんなところがあったなと、感じいる。彼女は自由意志でその道をえらんだのか、それとも強制されたのか。そればかりを問題にしていても、AVという世界は読みとけない。強制されているものがあるとすれば、それは自分語りのほうなのである。語りこそが売春の対象とされている状況に、今までの社会学は無力であったというしかない。

 それにしても、どうして日本のAV画像は、しばしば女優の語りをはさみこむのだろう。彼女たちの身辺雑事にまつわるトークが、なぜ商品たりうるのか。私はそこに、日本近代文学の、私小説的な伝統を感じなくもない。諸外国のAVは、こういう女優の語りをどうあつかってきたのか。誰か対比的にしらべてくれないかな。

※週刊ポスト2013年9月20・27日号

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